考えたこと2

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M1に思う
今年はM1を見てみた。
去年はM1で落ちた芸人が、ツイッターで審査員の悪口を言って炎上したりして話題になったが、それが逆にバカバカしくて見る気はなかったのだが、子供が見るので見てしまった。

審査員は史上最高のM1だ、とか言うが、昔のチュートリアルやフットボールアワーの方が面白かったとぼくは思う。
いろんな芸人がいて、いろんな漫才があって、それでいい。
たった5分足らずの漫才で、良し悪しを測ることには興ざめだ。
そんなものに普遍性があるわけがない。

審査員もどこまで真剣なのか、わからない。
どういう視点で、どこを評価しているのか、採点ポイントと得点表を公表すればいい。
審査員も権威付けをしているようにも見える。
自分たちは笑いに関してプロである、という傲慢さが見え隠れする。
笑いなんて、所詮自分の体験に基づいたものであり、どうとでもなるものだ、という諦観もない。

ぼくが一番違和感を感じるのは、当初シャレでやっていた(ように見えた)漫才グランプリが、今やお笑いの権威がある賞みたいになっていることだ。
若手の漫才師たちに目標を与える、ということが趣旨だったようだが、それはあくまで楽屋の内側の話。
年を経るごとに、それがどんどん権威主義的になっているように思う。
そんなことは、楽屋うちでやってくれればいい。

お笑い芸人というのは、桂枝雀が「地球滅亡」の枕で言っていたように、別に生活に必須ではない。
芸人がいなくても、笑いは存在するし、「地球滅亡」に際して役に立つ人を宇宙船に乗せるのに、わざわざ人を笑わすだけの商売の人は要らない。
笑いを生業にしている人は、そう思っているはず。
だから、笑いについて真剣に話をするのは、同業者の間のみだろう。

楽屋の外に出たら、もっと謙虚になるべきだとぼくは思う。
そういう芸人が、逆にみんなに尊敬されるのだ。

世の中が豊かだから、芸人という仕事が存在する。
食うや食わずの時代には、誰もお笑いなどにお金を払わない。
昔は河原乞食と言われて、卑しい商売だと言われた。

M1を見ていて、そういう思いがなくなっているように思う。
安いバラエティ番組全盛の時代に、M1王者の扱いは以前のレコード大賞にようになっているようだ。
昔なら、寄席で出番が増える程度だった思うが、今や民放のバラエティの仕事が増える。
だから、賞を与える方も権威が必要になる。

しかし、たった5分程度の漫才で、どんな優劣がつくんだろうか。
ついたとしても、その日限りのことだ。
それなら、観客に投票させるとか、笑いの音圧でも測定すればいいのだ。

2010年に一度M1は終了したが、そのまま終わるべきだったと思う。
所詮、お笑いなのだから。

ぼくは、そういう思いが、本当に面白い笑いを生むのだと思う。


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