考えたこと2

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お坊さん便撤退
アマゾンの「お坊さん便」については一度書いた。

この「葬儀の時に、定額でお坊さんを派遣してくれる」というサービスがアマゾンでは中止になったという記事があった。
「お坊さん便」を扱っている「よりそう」という会社が撤退を発表したらしい。

仏教界と「宗教者や宗教行事をECサイト上で商品として扱うこと」でもめていたが、その決着がついたということか。
ただ、アマゾンに出品するのをやめただけで、同種の「僧侶派遣業」は10社以上できている。
大手ではDMM.comグループなどだ。

記事によると、僧侶に対する説明会も盛況らしい。
自社が取るマージンが他社より低いから、うちと登録してくれ、というような内容。
実際に複数社に登録する僧侶もいるという。

現状では登録時の審査がいいかげんで、トラブルも多いようだが、それだけ会社ができているということはニーズがあるということだ。
特にネットで僧侶派遣をしてくれるところは便利だ。
そのサイトで決済もするから、葬儀のときだけ頼めばいい。
そもそも、最近は無宗教の葬儀も増えていると思う。

核家族化が進んで「家」の概念がどんどん薄れていく。
そうなると、仏壇はジャマだから置かないとか、家の宗教がわからないとかいう家庭が出てくる。
ぼくが死ぬ頃には、家には仏壇などなくなり、法事も廃れているだろう。
墓は残るかもしれないが、今の墓地だって金を払わなければ無縁仏になっていくのだし、死にゆく人の自己満足みたいなものだろう。

ろくにお経も読めない僧侶も登録されているらしいが、そういう僧侶ができてくること自体が仏教の衰退を表している。
まともな宗教活動をしていないから、当然といえば当然。
地域の活動も低調だし、昔からの檀家を守ることしかしない。

それもこれも、読経や戒名でお金を取るという「葬式仏教」に成り下がってしまったからだろう。
普段からの寄進がなく、葬式の時に儲けるというシステムが間違っている。
お寺が自ら仏教を崩壊させたのだと思う。

外国人に「宗教は何か」と聞かれたら「仏教」と答えるが、実際お経も詠んだことがなければ、お寺に行くこともない。
ぼくは日本人は無宗教だとは思わないが、仏教徒だとも思わない。

どちらかというと、日本土着の神道の方が馴染みがある。
「神さま、仏さま」というように、やっぱり「神さま」が上だ。
「お天道様は見ている」という価値観。
「悪いことをしたら、地獄に落ちる」という価値観。

ブッダが説いた教義はスゴイものなのだろう。
しかし、ぼくはそんな小難しい教義などどうでもいい。
伝統的な葬儀をする時に、僧侶がお経を詠んでくれさえすればいい、ということだ。

ネット派遣は何より、料金がはっきりしているのが好まれている。
今や僧侶派遣はビジネスであり、それが明確になっただけのことだ。
そう思っている人たちがどんどん増えている、ということだろう。

それに対して、仏教界は「宗教を商品にしている」と文句を言う。
「諸外国を見ても、そんなことを商品にしている国はない」というが、それが商品として成り立つのは、すでに仏教が「宗教」と思われていない証拠だ。

お坊さん便をやっていた会社も、アマゾンでの取り扱いは撤退するが、自社サイトでコールセンターを使ってより丁寧な対応をする、ということだ。
仏教界がアマゾンからの撤退を喜んでいるというが、それは大きなことではない。

自分たちが仏教を宗教だと思っていないからだろう。
ぼくは学校法人に勤めていた時、多くの仏教関係者が働いていたが、彼らを見ていてそう思う。

自業自得なのだ。



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