考えたこと2

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部分最適
テレビでやっていたが、渋滞時の合流の合理的な方法がある。
これは合流地点のみで、1台ずつ入るというやり方。
明らかにブレーキを踏む回数が減る。

ぼくは大概そういうふうに合流するが、そうすると何だかマナーが悪いように思える。
他の車は合流地点の手前で、めいめい合流するのに、自分だけが一番前まで行って合流している、と思われるからだ。
しかし、実際にはめいめいが思い思いの位置で合流すると、合流される側の車線を走っているクルマのブレーキ回数が増える。
ブレーキ回数が増えるということは、車線の平均速度が落ちるということで、全体の流れが悪くなり渋滞がひどくなる。
一人だけがそうしても意味がないといえば、そうなのだが…。

全体を考えたらわかると思うのだが、早く合流したいという気持ちがあって合流するのだろう。
空いているときなら問題にならないが、渋滞の長さを短くするためには、そういう合理的な考え方を普及しないといけない。

80年代にイギリスの道を走ったとき、この先工事中で片側1車線という標識が出ると、その位置でみんながその車線に入るのに驚いた。
片側が空いていても、その位置で1台ずつ譲り合って1車線になる。
これがイギリスのマナーか、と感心した。

こういうふうに考えるのは、全体の最適を考えて行動する、ということだと思う。
ぼくらの不得意とするところだ。
日本人は自分が見えている部分の最適を取るのはうまい。
しかし、全体の最適を考えて行動するのは不得手だ。
それが渋滞という現象にも現れているような気がする。

戦争中の日本の戦闘機は陸軍と海軍が作っていて、使っているネジの方向も違ったりしたという。
各々が部分最適を考えて、自分の思ったことをする。
それがいかに不合理かということを考えない。

何でも合理的にするのがいいとは言わない。
しかし、社会の利益になることなら、そうすべきだと思う。

平成の自治体の大合併で、たくさんの市ができたが、公務員の数はほとんど減らないままだ。
各々が自分の利益を守ろうとして、全体の利益を考えない。
経済的な合理性と住民の利便性を秤にかけたということだが、減らないなら合併する意味がない。
公務員以外の住民がいなくなったら、公務員は誰にサービスするのだろうか。

民間企業でも、同じような分野の子会社がいくつもあったりする。
これも全体最適を考えれば、統合するべきものもあるだろう。
そういう考え方がなかなかできない。
それはぼくも同じ。

21世紀を迎えて、そこから脱却しないといけないぞ。


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