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2019.08.21 Wednesday
部分最適
テレビでやっていたが、渋滞時の合流の合理的な方法がある。
これは合流地点のみで、1台ずつ入るというやり方。 明らかにブレーキを踏む回数が減る。 ぼくは大概そういうふうに合流するが、そうすると何だかマナーが悪いように思える。 他の車は合流地点の手前で、めいめい合流するのに、自分だけが一番前まで行って合流している、と思われるからだ。 しかし、実際にはめいめいが思い思いの位置で合流すると、合流される側の車線を走っているクルマのブレーキ回数が増える。 ブレーキ回数が増えるということは、車線の平均速度が落ちるということで、全体の流れが悪くなり渋滞がひどくなる。 一人だけがそうしても意味がないといえば、そうなのだが…。 全体を考えたらわかると思うのだが、早く合流したいという気持ちがあって合流するのだろう。 空いているときなら問題にならないが、渋滞の長さを短くするためには、そういう合理的な考え方を普及しないといけない。 80年代にイギリスの道を走ったとき、この先工事中で片側1車線という標識が出ると、その位置でみんながその車線に入るのに驚いた。 片側が空いていても、その位置で1台ずつ譲り合って1車線になる。 これがイギリスのマナーか、と感心した。 こういうふうに考えるのは、全体の最適を考えて行動する、ということだと思う。 ぼくらの不得意とするところだ。 日本人は自分が見えている部分の最適を取るのはうまい。 しかし、全体の最適を考えて行動するのは不得手だ。 それが渋滞という現象にも現れているような気がする。 戦争中の日本の戦闘機は陸軍と海軍が作っていて、使っているネジの方向も違ったりしたという。 各々が部分最適を考えて、自分の思ったことをする。 それがいかに不合理かということを考えない。 何でも合理的にするのがいいとは言わない。 しかし、社会の利益になることなら、そうすべきだと思う。 平成の自治体の大合併で、たくさんの市ができたが、公務員の数はほとんど減らないままだ。 各々が自分の利益を守ろうとして、全体の利益を考えない。 経済的な合理性と住民の利便性を秤にかけたということだが、減らないなら合併する意味がない。 公務員以外の住民がいなくなったら、公務員は誰にサービスするのだろうか。 民間企業でも、同じような分野の子会社がいくつもあったりする。 これも全体最適を考えれば、統合するべきものもあるだろう。 そういう考え方がなかなかできない。 それはぼくも同じ。 21世紀を迎えて、そこから脱却しないといけないぞ。 |
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