考えたこと2

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イメージは大事
こないだ、学生が来て相談を受けた。
数学の計算はできるのだが、文章題になるとできないという。
そういう学生は多い。

機械的な計算はできる。
一次方程式も式が立てれば機械的に解ける。
問題は「機械的でない部分」なのだ。

文章題でも公式があればできる、という。
だから公式を教えてほしいというが、「はじき」のように速さ、時間、距離の関係が分かったからと言って、問題は解けない。
文章題を見て、考えることが必要だからだ。
向かい合って出発するのか、追いかけるのか、単位は時間でそろえるのか、分でそろえるのか…。
これは要は国語の問題だ。
要は文章を読んで、考える、という作業ができない、ということになる。
だから、就職筆記試験では「集合」のように「公式」がないジャンルの問題が増える。

でも、そういう学生でもパズルのような問題は得意だったりするから、どうなっているのかわからない。
AはBより早い。CはDより遅いが、Bより早いとかいう問題。
これは単純にイメージできるからマシなのではないかと思う。

速度や損益、濃度などは本当に苦手な学生が多い。
要は、イメージできないのではないかと思う。

速度では、「速度は単位時間あたりに移動する距離」という言葉がイメージできない。
「1時間に走る距離を時速という」と言い換えてもまだ難しい。
損益では、原価、定価、値引き率、売価、売り上げ、利益などの言葉がわからないと、問題がイメージできない。
利益は売り上げから原価を引いたもの、ということが直感的にわからないのだ。
濃度でも、食塩と食塩水、濃度の関係が式の上ではわかるのだが、「濃度」という概念が頭に入っていないとわからない。
結局、そういう抽象的な概念操作が訓練されていないのだと思う。

言葉の意味がわかる、ということはそれをイメージできる、ということだ。
イヌとかネコとか、友だちとか、ごはんとか、そういう手で触れるものは実際にイメージできる。
できなければ、どこかオカシイ。
しかし、速度とか、損益とか、濃度という、手で触れないもの、つまり「形而上のもの」が出てくると、イメージできなくなる。

表面的な意味や定義がわかっても、それをイメージすることとは違うのだと思う。
そういう脳の中の回路は、いつごろできるのだろうか。

3歳までにイメージする能力が形成されるということだが、その時期にビデオばかり見ていたら、どうなるのだろう。
そんなこととも関係があるのだろうか。

誰か、そういう研究をしてくれないか。


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