考えたこと2

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オトナというもの
小林秀雄がずっと昔の講演の中で言っていたが、歳をとるということは、よくないことだというような感覚が現代(おそらく昭和40年代)にはあるという。
自分はそれはよくないと思う、ということだった。

「お若く見えます」というのは褒め言葉と思われているが、はたしてそうなのか、ということだ。
歳をとったら、歳をとったなりになればいい、というか、なるべきだ、ということになる。

小林は、今の世の中は、全て合理的になりすぎているともいう。
合理的な考えには、年齢はない。
若かろうが、歳をとっていようが、合理的なものは合理的だ。
しかし、世の中合理的だからいいというものではない。
というか、世の中は合理的でないものばかりだ。
だから、その世の中を渡っていくために、年寄りの知恵が必要になる。
そういうのを昔は隠居と言った。
残念ながら今の世の中、隠居は求められていない。

でも、本当は合理的ではない世界だから、うまくいかない。
この小林秀雄の意見は当たっていると思う。

特に平成になってから、オトナ不在がひどくなってきたような気がする。
戦前の世代である、昭和ヒトケタが、社会の第一線からいなくなってしまったからか。
ぼちぼちその頃の昭和ヒトケタに近づいてきたが、ぼく自身、まだまだコドモなのだと感じる。

アメリカから習って始めた戦後の教育は、主義としては正しいと思うが、その根本の精神を教えるところまでいかなかったのだろう。
そういう歴史をたどってこなかったからなあ。
だから、ぼくらを含めて戦後の日本はコドモばかりになったのかもしれない。

STAP騒動を見ても、あれはどう考えてもコドモのやったことだ。
それが理研という国の税金を投入した組織も巻き込んで、騒動を起こした。
理研も功に目がくらんだコドモだった。
ノーベル賞を取った理事長も大変だ。

野々村議員の号泣会見にしても、同じだ。
あれこそ、悪いことを見つかって怒られたら、泣いて謝ったら許してもらえるという、まことにコドモな出来事。
余談だが、野々村議員のおかげで、たくさんの地方議会のいい加減さがわかったことはよかったと思う。
国会議員もいい加減だが、地方議員はもっとひどい。
これではいくらお金をつぎ込んでも、地方創生などできないのではないか。

今必要とされるのは、横丁の隠居のような人だろう。
残念ながら、もうほとんどいないのだが…。




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