考えたこと2

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大阪の先生は言葉が荒い?
産経新聞のWebの記事。

「28日に開かれた大阪市教委の教育委員会会議で、大森不二雄教育委員長が「大阪の学校では先生方があまりきれいな言葉を使っていないと聞く。言葉が荒いと、子供の学力の面でもよろしくない」と“苦言”を呈した。」
「子供を持つ母親でもある林園美教育委員も「私も実感している。子供が小学校に上がったとたん、汚い言葉を覚えて帰ってきた」と賛同し、「指導者が率先してきれいな言葉を使う姿勢が大きな影響を与えることを自覚していただきたい」と応じた。」

こないだ、近所の女子高校で体育祭の予行演習で怒鳴っていた先生のことを書いたが、たしかに教育現場で使うべき言葉ではないと思う言葉が使われている。

それで思い出すのは、大阪の教育委員会のテレビ取材。
十年くらい前になるか…。
公務員の実態か何かの取材だったが、アポ無しの取材班が行ったところ、すごく汚い言葉で罵られて入れてもらえなかった、というところが映っていた。
その時の印象が強烈に残っている。
たしか、「お前ら何しに来たんじゃ!」というような感じだったと思う。
教育委員会に務めている公務員が、そんな言葉を使っているのか、とビックリした。
ヤクザの事務所の取材といわれても納得できるほどだ。

子どもが小学校に上がったとたん、汚い言葉を覚えて帰ってきた、というのもさもありなんと思う。

しかし、小学校でなぜ汚い言葉を使う必要があるのか、わからない。
ましてや、教育委員会の人が使うのもわからない。

もちろん、先生だけではなく、友だちが使っているという例もあるんだろう。
でも、もしそうでも、「そんな言葉は使っていはいけません」という注意をして、きれいな言葉で話そう、というのが学校ではないか。

「花子とアン」の秀和女学校の「ごきげんよう」ではないが、そういう習慣も必要だと思う。

子どもはいずれ汚い言葉を覚えるものだ。
どんどんスレていく。
それは必要悪の部分もある。
汚い言葉も知った上で大人になるのは事実。

それでも、タテマエは大事だ。
「名は体を表す」というように、使っている言葉はその人を表すものだ。

だから、ちゃんとすべきだと思う。

学校の先生は児童生徒の友だちではない。

お手本なんだから。

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