考えたこと2

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いじめと道徳教育
道徳教育の充実を図るという。
いじめがあるから、道徳を強化するということらしい。

週1時間程度の時間をとり、担任が授業をし、数値で評価するのではなく文章で評価を書くということを中教審が言っているらしい。
NHKの7時のニュースで言っていた。

ぼくが小学校の頃は、道徳の授業は週1回あった。
テレビで20分ほど教育テレビでやっていた道徳のドラマを見て、その後先生が話をするというものだったと思う。
ただ1つ覚えているのは、道路か何かが通るので家を立ち退かないといけない、という話。
公共の利益のために、立ち退くということだった。
えらいこっちゃなあ、と思った。

何年間道徳の授業があったのか、覚えていない。
ただ、道徳のテレビドラマはけっこう面白かったので、みんな楽しみにしていたのは事実。
ぼくの行っていた小学校は放送教育全国大会の見学があった学校だったし、あの当時ビデオレコーダーも持っていたから、そういうカタチの授業をやっていたのは特殊だったのかもしれない。

しかし、今こんな番組をやろうとすると、いろんな所から文句が来そうな気がする。
公共の利益と私的な利益の折り合うところが変わった、というか、人によって考え方が広がったということだろう。
今は、道路を広げると公害が増えるとか、交通事故が増えるとか、そもそもそんなものを作るのは反対だとか、いろいろ言う人がいる。
そうなると、授業はやりにくいだろう。
その授業でやっていた「道徳」というのは、そういうふうに社会と一体になっている。
今みたいに価値観が多様化すると、それを一括りで表すのは難しい。

今回の道徳教育の主眼は「イジメ」をなくすことだ。
「イジメ」が良くないことだ、ということはきっと誰でもわかっていることだろう。
それは本能的なものだと思う。
子供は意外に賢い。
そんなことをわざわざ「教える」というのはあまり必要だとは思わない。

ぼくは小学校のころ、みんながいじめている人を一緒になって無視したことがある。
もちろん、自分がされたら嫌だと思う。
だから、一緒になって無視してしまった。悪いことをしてしまったと思っている。
「いじめられる人の立場になって考えなさい」ということは、みんなわかっている。
でも、わかっているからこそ、やってしまうのだと思う。
授業をやっても、きっとみんな「わかっている」と言っておしまいだろう。

イジメの対策は、「実践」だと思う。
いじめをしてはいけない、ということをどうやって実践するかだ。
わからないことを教えるのは、まだ簡単だ。
でも、わかっていることを実践させるのは難しい。

本気でやらないと、イジメなどなくならない。
ゼロにはできないまでも、死に至るようなイジメはなくさないといけない。
先生方が本気でイジメはダメだという気持ちを持たないといけない。
本気は大事だ。
生徒は先生が本気かどうかはわかるものだ。

大津市のイジメ事件の対応を見ていると、教育委員会も学校も先生もいい加減すぎる。
というより、先生もイジメの一因であり、教育委員会は事なかれ主義だ。
そんな状態で道徳の授業などやってもダメだろう。

まずは本気で取り組める組織を作らないといけない。
どう評価するかとかいうような問題はまだ先だ。

それができないと、何をやってもダメだろう。




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