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2014.10.26 Sunday
村上春樹、河合隼雄に会いにいく
村上春樹、河合隼雄に会いにいく 河合隼雄/村上春樹 新潮文庫
村上春樹と心理学者の河合隼雄の対談。 2回にわたって行われたものを書き起こしたもの。 対談は1995年11月に行われたとのこと。 ちょうど村上春樹が「ねじまき島クロニクル」という作品を書き上げた後の時期。 ぼくは村上春樹の小説は読んだことがないから、どんなものかはわからない。 対談の中にその小説のことが出てくるが、それもわからない。 村上春樹はアメリカにいた時に、河合隼雄と会う機会があったらしい。 その時は小説の執筆中だったので、そのことに触れないよう、気を遣ってもらって話をしたのだが、今回は小説を書き上げたので安心して話ができる、ということだ。 「ねじまき島クロニクル」については、あまりわからないので、この本は結局よくわからない本になった。 でも中に、面白いことも書いてある。 アメリカのことについて、河合が言っている。 「ぼくは教育の世界の人によく言うんですが、このごろの学校教育というのは、個人を大切にしようとか、個性を伸ばそうとか、教室によく大書してあるんですね。ぼくが「こんなこと、アメリカではどこにも書いてない」って言いますと、みんなものすごいびっくりするんですわ。 アメリカでは個性は大事なんじゃないですかと言われますが、いや、そういうのはあたりまえな話だからわざわざ書く必要はないんだ、と答えるんです。 日本では「個性を大事にしましょう」と校長先生が言ったら、みんなで「ハァー」というわけで、「みんなで一緒に個性を伸ばそう」ということになってしまうんですね。それほど、日本では個人ということがわかりにくいんですね。 このあいだおもしろい体験をしました。日本の学校はもっと国際的にならなければいけないと、教育の国際化に取り組んでいる学校の紹介があった。その紹介の文章の中に道徳教育のことがあって、そこには「『すみません』というのは非常に大事な言葉である、自分は悪いことをしていなくても『すみません』と言うことが大事だ」、と教えている。その時に、自分が悪いことをしていないかぎり「すみません」と言わない文化もあるということは全然教えない。そして人間関係をスムーズにするためには「すみません」という言葉が非常に大事だと、道徳の時間に教えているのですよ。 日本人は、個人ということを体感としてわかることはすごいむずかしいことなんじゃないでしょうかね。」 こういうことが本当にあるんだろうか。 今の時代だから、そんなことはないと思うのだが…。 日本のボランティア活動について、河合の言葉。 「だから、学生運動のころに、ぼくがよく学生を冷やかしていたのは、きみたちは新しいことをしているように見えるけれども、体質がものすごく古い、グループのつくり方がものすごく古い、ということですね。あれはおもしろいですね、みんなが集まるというときに、ちょっとサボっていると、おまえは付き合いが悪いとか。つまり、個人の自由を許さなくなるんですよ。全体にベタベタにコミットしているやつが立派なやつで、自分の個人のアイディアでなんかしようとするやつは、それは異端になってしまうでしょう。 ところが、その点、欧米のコミットする人は、個人としてコミットしますからね。来るときは来る、来ない時は来ないというふうにできるんですよ。」 たしかに、ボランティアであるにもかかわらず、あまり来ないヤツはダメなヤツになってしまう。 これは日本ではたしかにあるだろう。 湾岸戦争の時にアメリカで感じたことを話す村上の言葉。 「結局、日本人の世界の理屈と、日本以外の世界の理屈は、まったくかみ合っていないというのがひしひしとわかるんですね。ぼくもアメリカ人に何も説明できない。なぜ日本は軍隊を送らないのかというのは、ぼくは日本人の考えていることはわかるから、説明しようと思うんだけれど、まったくだめなんですね。 自衛隊は軍隊ですよね。それが現実にそこに存在するのに、平和憲法でわれわれは戦争放棄をしているから兵隊は送れないんだと、これはまったくの自己矛盾で、そんなのどう転んだって説明できないですよ。そこからいろいろなことがだんだんぼくのなかでグシャグシャになっていくんですよ。 そうすると、ぼくらの時代が六〇年代の末に闘った大義、英語でいうと「コーズ」は、いったいなんだったのか、それは結局のところは内なる偽善性を追求するだけのことではなかったのか、というふうにどんどんとさかのぼって、自分の存在意義そのものが問われてくるんですね。すると、自分そのものを、何十年もさかのぼって洗い直して行かざるをえないということになります。 これはやはり日本にいたら気付けなかったことだと思うのです。理屈ではわかっていても、ひしひしとは肌身に迫ってこなかったんじゃないかと。 それからすぐ、真珠湾攻撃五〇周年というのがあった。これも、ぼくが生まれる前のことですから、訊かれてもわからないのですが、やはりどうしても問題として出てくる。そうすると、また自分のなかの第二次大戦というものを洗い直さなくてはならないですから、これもけっこうきつかったです。でも、一つひとつ考えていくと、真珠湾だろうがノモンハンだろうが、いろんなそういうものは自分のなかにあるんだ、ということがだんだんわかってくるのですよね。」 湾岸戦争の時は、日本は自由な貿易で国益を上げているのに、それを守る活動には参加しないのか、ということだった。これが1990年の話。 このあたりが起点になって、集団的自衛権の話も出てきているのだと思う。 この対談が持たれた1995年は震災もあったし、オウム真理教のサリン事件もあった年だ。 それから今年で20年。 日本は95年あたりから、高度成長が終わり、低成長になってきている。 この20年ほどは右肩下がりの時代だ。 というか、その前の高度成長の時代ができすぎだったのだろう。 これからの時代をどう生きていくのか、まだ答えは出てない。 安部首相は強かった日本と取り戻す、と言っているが、そんなことはできないだろう。 もうそんな時代ではないのだと思う。 村上が小説を書き始めたきっかけについて。 「なぜ小説を書きはじめたかというと、なぜだかぼくにもよくわからないのですが、ある日突然書きたくなったのです。いま思えば、それはやはりある種の自己治療のステップだったと思うのです。 二十代をずっと何も考えずに必死に働いて過ごして、なんとか生き延びてきて、二十九になって、そこでひとつの階段の踊り場みたいなところに出た。そこで何か書いてみたくなったというのは、箱庭づくりではないですが、自分でもうまく言えないこと、説明できないことを小説という形にして提出してみたかったということだったと思うのです。それはほんとうに、ある日突然きたんですよ。 それまでは小説を書こうということを考えたことはまったくなかった。ただ働いてきて、ある日突然「そうだ、小説を書こう」と思って、万年筆と原稿用紙を買ってきて、仕事が終わってから、台所で毎日一時間なり二時間コツコツ書いて、それがすごくうれしいことだったのです。自分がうまく説明できないことを小説という形にすることはすごく大変で、自分の文体をつくるまでは何度も何度も書き直しましたけれど、書き終えたことで、なにかフッと肩の荷が下りるということがありました。」 えらいものだ。 ある日突然書こうと思って、書けるというのがスゴイ。 小説家は何かしら心が病んでいるというが、そういうことがあるんだろう。 人間の死についての河合の言葉。 「人間はいろいろに病んでいるわけですが、そのいちばん根本にあるのは人間は死ぬということですよ。おそらくほかの動物は知らないと思うのだけれど、人間だけは自分が死ぬということをすごく早くから知ってて、自分が死ぬということを、自分の人生観の中に取り入れて生きていかなければいけない。それはある意味では病んでいるのですね。 そういうことを忘れている人は、あたかも病んでいないかのごとくに生きているのだけれども、ほんとうを言うと、それはずっと課題なわけでしょう。 だから、いろいろ方法はあるのだけれど、死後に行くはずのところを調べるなんてのはすごくいい方法ですね。だから、黄泉国へ行って、それを見てくるということを何度もやっていると、やがて自分もどこへ行ったらいいかとか、どう行くのかということがわかってくるでしょう。 現代というか、近代は、死ぬということをなるべく考えないで生きることにものすごく集中した、非常に珍しい時代ですね。それは科学・技術の発展によって、人間の「生きる」可能性が急に拡大されたからですね。その中で死について考えるというのは大変だったのですが、このごと科学・技術の発展に乗っていても、人間はそう幸福になるわけではないことが実感されてきました。そうなると、死について急に語られるようになってきましたね。 だけど、ほんとに人間というものを考えたら、死のことをどこかで考えていなかったら、話にならないですよね。その点、それこそ平安時代の物語なんかは死ということはずっとある。」 人間だけが、「自分が死ぬということを、人生観の中に取り込んで生きていかなければいけない」というのは、そう思う。 それが「病んでいる」ということかどうかはわからない。 動物には「今」しかないというワケではないとは思う。 イヌやネコにも関係はわかると思う。 親との関係とか、仲間との関係とか、飼い主との関係とか、そういう関係の中で生きているとは思う。 そこには時間の意識もあるだろう。 でも、時間の先にある「死」はそこには入っていないだろう。 戦争についての村上の言葉。 「結局、日本のいちばんの問題点は、戦争が終わって、その戦争の圧倒的な暴力を相対化できなかったということですね。みんなが被害者みたいになっちゃって、「このあやまちは二度とくり返しません」という非常にあいまいな言辞に置き換えられて、だれもその暴力装置に対する内的な責任をとらえられなかったんじゃないか。 われわれの世代的な問題というのも、そこに帰属するのではないかと思います。ぼくらは平和憲法でそだった世代で「平和がいちばんである」、「あやまちは二度とくり返しません」、「戦争は放棄しました」、この三つで育ってきた。子供のころはそれでよかったのです、それ自体は非常に立派なことであるわけですから。でも、成長するにつれて、その矛盾、齟齬は非常に大きくなる。それで一九六八年、六九年の騒動があって、しかし、なんにも解決しなくて、ということがえんえんとあるのですね。」 「ぼくが日本の社会を見て思うのは、痛みというか、苦痛のない正しさは意味のない正しさだということです。たとえば、フランスの核実験にみんな反対する。たしかに言っていることは正しいのですが、だれも痛みをひきうけていないですね。文学者の反核宣言というのがありましたね。あれはたしかにムーヴメントとしては文句のつけようもなく正しいのですが、だれも世界のしくみに対して最終的な痛みを負っていないという面に関しては、正しくないと思うのです。」 これはアメリカが経済的に苦しくて、もう世界の警察をやってられない、という事態になって本当に現実になってきた。 日本という国はどうやって世界の中で存在していくのか、どういう関係を作っていくのか、いまだにコンセンサスを持った立ち位置が決まらない。 部分的には面白い。 けど、小説の話はまったくわからない。 村上春樹の「ねじまき島クロニクル」を読んだ人には面白い本だと思う。 |
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