考えたこと2

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法科大学院2 本当の問題とは
昨日法科大学院について書いたら、今日日経に記事が出ていた。

法科大学院修了者の司法試験合格率が芳しくないので、一学年終わるたびに「進級試験」をしなさい、という提言を中教審が行ったということだ。
要は、成績が悪いと卒業もできないし、進級もできない、というような体制を作れ、ということらしい。入った学生が気の毒だということだろう。
記事にはこうある。

「テストは「共通到達度確認試験(仮称)」。各法科大学院が試験成績を基に学生の進級を判断する。同大学院修了者の今年の司法試験の合格率は21.2%にとどまっており、特別委は「教育の質の向上を図るべきだ」と指摘した。
 今春の全国の法科大学院の入学者は計2272人で、定員(計3809人)の6割にとどまった。来春に学生を募集する54校は計3175人の入学定員を予定しているが、特別委は3千人以下とするよう求めた。」

別に中教審や文科省が、大学院生のことをケアする必要はないのだが、見るに見かねてということではないかと思う。

要は、この大学院に入ったら、弁護士になれますよ、というような安易な宣伝をして、形だけ入試をやって、定員を稼ぐということをするな、ということだ。
でも、結果的には形だけの入試を行っているのだ。

当然、その入試を通ったら、その大学院での勉強をして、修了して弁護士になれると思うのが受験生の心理。
でも、昨日書いたように、「普通の学生」にはシンドイ試験なのだ。
だから、入試はハードルを上げ、その資格試験に耐えられる人を選別しないといけないという使命がある。
それがその大学院の責任であり、学生に対する良心でもある。

だれでも、この大学院に入ったら、修了して弁護士になれますよ、というわけではない。
当たり前だ。

この中教審の指摘は、「教育の質の向上」ではなくて、マジメに入試をやれ、ということだと思う。
下手をすると20代前半の3年間をムダに使って、一生を棒に振る人も出てくる。
22歳から25歳くらいの時期というのは、職業に就く時期でもあり、それを特定の職業に決めて資格を取るために遅らせて、頑張るわけだから、マジメに学生を選別しないといけない。
だから、本気で選別し、大学院での教育プログラムに耐えられる学生を選ぶのは、その大学院の義務でもある。

ところが、今年の合格率が21%。
まあ、大学院側にも文句はあるのだろう。
当初の話を違う、というようなことだ。
それでも、できてからかなりの年数が経っている。
もうそんな言い訳は通用しないのではないか。
修了生を出した先生方は、どう思っているのだろうか。
専門職大学院だから、一般の就職斡旋などしない。
となると、修了試験に通らなかった人たちはどうしているんだろう。
またお金をとって、研究生とかいう立場で勉強させているんだろうか…。
大学院は金儲けだから、喜ぶだろうが…。

だから、入試は大事だと思う。
その大学や大学院のカリキュラムで想定している予備知識を備えている、あるいは、それを理解できるレベルの学生を取らないと、カリキュラムを変えないといけない。
この場合は、卒業したら資格試験を取らないといけない。
それに合格できるレベルを入試でどのレベルにしたらいいかは、もうわかっているだろう。

なぜ、こんなことになったか。
それは多くの下位の大学では入試が成立していないからだ。
それに大学側も慣れてしまって、その考えでずっと入試をやっているんだろう。
入試の最大の目的は、学生の選別だったのだが、そうではなく下位の大学では定員を確保することにある。
それが法科大学院というところで、惨憺たる結果になって、先鋭化したということだろう。
出口で資格試験があり、またその難易度が高く、それを通らなければ入った意味がない、というような厳しい状況だから、はっきりせざるを得ない。

でも、本当の問題は、同じような考えで多くの学部の入試がやられているということだ。
それが法科大学院ではっきりしただけだ。

そちらも変えないと、問題のごくごく一部しか変わらないと思う。

そんなことをやれば、大学や大学院が潰れてしまうというのなら、マジメに潰れるか、それともマジメにカリキュラムを見なおす必要がある。
その結果、これは大学ではないということになったら、専門学校にするとか、いろんな手はある。
そんなことは教えられない、というのなら、先生もクビにせざるを得ない。
申し訳ないが、学校は学生のためにあるのであって、先生のためにあるのではない。

そのマジメさが大学に求められているのだろう。

それをマジメにしようと思うと、まず義務教育をどうにかしてくれ、という話になる。

この問題は根が深い。

でも、問題がわかっていて、文科省に文句も言わずに入試をやっている大学の罪は重いと思う。



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