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2014.09.13 Saturday
終活
終活とは就活のマチガイではない。
文字通り終わりの活動のことだ。 ちょっと前から、この言葉が聞かれ始めた。 Wikipediaによると、「終活とは「人生の終わりのための活動」の略であり、人間が人生の最期を迎えるにあたって行うべきことを総括したことを意味する言葉。主な事柄としては生前のうちに自身のための葬儀や墓などの準備や、残された者が自身の財産の相続を円滑に進められるための計画を立てておくことが挙げられる。」 葬儀会館の垂れ幕に大きく「終活」という文字が踊っているのを見たこともある。 日本は少子高齢化と同時に、少産多死化でもあるから、これから陽の目を見る商売かもしれない。 今の日本は世界一の長寿を達成しており、長い余生があるわけだから、これは当然かもしれないなあ。 この春からぼくも終活をした。 大量のVHSと8ミリビデオを捨てたのだ。 まだデッキはあるので、見ることはできるのだが、若い頃にエアチェックした番組やダビングした映画などが対象。 こういうのは、残されたほうが処分に困るだろう。 ぼくらの生きた時代は、アナログからデジタル、そしてデータへと変わってきた時代なので、そういう古いメディアが残っている。 これはぜひとも捨てておかないといけないと思う。 まあ、残されたら、残されたほうが捨てるに決まっているのだが…。 でも、まだ全部は捨てられない。 ぼくらの世代の親は、子供を撮ったビデオをどうしているのだろうか。 うちの場合、最初はVHS-Cだった。 その次にデジタルビデオになった。 人によっては最初はベータで、VHS、8ミリ、デジタルビデオという人もいるだろう。 メディアの覇権争いの犠牲者だ。 時代はちょうどデジタルが進んでいく時だったから、その途上でいろんなものが出た。 だから、ややこしい。 でも、子供時代のビデオなど、子ども自身はあまり見たくないような気もする。 いくらか、DVDに落としておけばいいと思う。 小学校の運動会など、みんなビデオカメラを持っていた。 あれだけの人がビデオを撮って、今はどうしているのだろうと思う。 今は、ビデオで撮っても、すぐにデータになる。 メディアはSDカードでもいいし、マイクロSDでもハードディスクでもいい。 それをコンピューターで見る。 友だちとも共有することができる。 もちろん、写真も同じことだ。 大量のデータをネット上に保管しておくこともできる。 まだ全く処分できていないのが、音関係。 カセットとレコードだ。 カセットはどうしても残したいものだけ、デジタル化しようと思っている。 でも、実際聞くことがあるだろうか…とも思う。 レコードは捨てられない。 プレーヤーもまだあるから、これは置いておこうと思うが、でも残されても困るだろうなあ。 となると、いつかは捨てる時が来るのかもしれない。 まあ、まだ余生はあるから…。 うちの子どもたちは、もうCD以外のアナログなメディアはほとんど持っていない。 ちょっとMDが残っている程度だろう。 本来の終活のごく一部でしかないが、それでも思い出に類するものだから、ややこしい。 そういえば、本もそうだなあ。 残されて、読むだろうか…。 でも、昭和のSFなどはもう今は売っていないから、貴重だと思うのだが、そう思うのは持ち主だけで、残された方はそうは思わないかもしれない、というか、はっきり言ってジャマだろう。 それなら、捨てたらいいのだが…。 ウチの亡くなった父親が晩年言っていた。 「本があるんやけど、それを捨てたら頭の中が空っぽになるような気がして…」 まあ、その気持ちもわかる。 まだ捨てていないのが現実。 でも、自分の時にはもうちょっとスッキリさせようと思う。 いくらいいものでも、古いものは古い。 大事とかいう価値観は主観的なもので、押しつけられない。 まだまだ、要らないものがある。 終活しないと…。 |
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