考えたこと2

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英語を勉強する意味 
最近どんどんGoogle翻訳がよくなっている。
ディープニューラルネットワークを翻訳に使うことで、本当に読みやすく、日本語らしい文に翻訳できるし、精度が抜群に上がった。
これこそ、技術の進歩だと思う。

そう思って、Google翻訳の使用例を検索してみたら、国際論文を提出するために使っていたり、偉人の言葉を翻訳させて精度を確かめたり、仕事で外国人の研修に使っているというようなものがあった。
それらをざっと見ると、もう普通の日本人なら、Google翻訳の方が圧倒的に正しいということだ。

ぼくもこないだ、英語のサイトを翻訳してみたが、普通の日本語になっているし、本当に知りたいところだけ、念のため原文で確認する(Webなら英語と日本語の切り替えができる)ことでOKだと思う。

実際それらを評価して、Webに載せている人たちも、英語の教育について考えてしまった、と言う。

つまり、英語を勉強することの意味を考え直さないといけない時期に来ているのだ。
Google翻訳のおかげで、英語を勉強しなくてよくなる、という側の意見としては、

「自分はもう英語は勉強しなくてよいと思う」
「子供の教育は、難しいところ」
「この調子で精度が上がれば、外国人との会話も自動翻訳機でする日も近い」
「自動翻訳と上手く付き合わなければならないという翻訳業界の流れは、止めることができない」

逆に、Google翻訳ができることによって、全ての言語が英語に翻訳され、英語の勉強が今まで以上に必要になる、という意見もあった。

また、英語の翻訳家の人たちの生産性を上げることができる、という意見もある。
最終的には人間が手を加えなければならないが、8割の仕事は自動でできてしまう、ということだ。

ぼくは、英語の専門家や楽しみで英語を勉強する人たちにとっては、Google翻訳はいい助けになると思う。
また、それらの一定数の人たちにとっては、絶対に必要だろう。
英語の映画を見て、原文でわかりたい、という人はいなくならないし、海外に住んで活躍したいという人たちにとっては、やっぱり英語は勉強しないといけない。

しかし、今の文科省の方針のように、全ての人が小学校から英語を勉強しないといけないか、というとそれは違うと思う。
これだけテクノロジーが進歩すると、日本で住んでいて、外国人に道を教えるとか、ちょっとした質問に答えるとか、海外に旅行してちょっとしたコミュニケーションを取るとかいう目的では、もう英語を勉強しなくてもいいと思う。

全ての日本人が、最低限の英語のコミュニケーションができるように、というのが今の教育の目標だろう。
小学校から英語をやるのも、その一環だ。

しかし、論理的に日本語で考えるとか、日本語の文学的なところを味わうことを犠牲にしてまで、英語の勉強に時間を割くのはナンセンスだ。
残念なのは、ネットで調べると、英語を実用的に使っている人たちのページは出てくるのだが、「英語教育とGoogle翻訳」というような検索をしても、?育界の人たちのページが出てこないことだ。
英語教育学会などでは、入試英語や大学生の英語教育といったテーマは出てくるが、「Google翻訳で英語教育をどう変えていくべきか」というような話題は出てこない。

ぼくはもともと、小学校で英会話をやることに懐疑的だが、Google翻訳を見て一層小学生に英会話を教える意味がわからなくなった。
すでに、小型の英語翻訳機が市販されている今、どうして小学生から英語を話す必要があるのか、考えないといけないと思う。

いい加減に、既存方針に囚われず、柔軟に考えるべきだと強く思う。

| | 考えたこと | 20:59 | comments(0) | trackbacks(0) |

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