考えたこと2

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聲の形
2016年のアニメ映画。
京都アニメーションで山田尚子という女性の監督。
Eテレ(教育テレビ)で夜中にやっていたのを録画して見た。
見終わって、女性の監督と知り、なんとなく納得。

イジメと聴覚障害、不登校などを題材にした映画。
京都という閉鎖的な場所だからこそ、こういう映画が作れるのかもしれない。

主人公グループの、小学校から高校までの時間が舞台。
女性はみんな外面的にはきれいに描かれている。

イジメる方、イジメられる方の両方の立場に立つ男子が主人公。
今の学校は多様性がどんどんなくなっているので、イジメがおきやすい。
そこに聴覚障害がありながら、一般のクラスにはいった女子が登場する。
この子が主人公にイジメられる。
小学生のイジメは容赦ない。
そして、障害を持った女の子は転校してしまう。

ほんとにこんなことが、今の小学生にできるのだろうか、と思う。
そこは誇張されているのだろう。

そして、イジメたことをきっかけに、中学に入って自分がイジメられる方になってしまう主人公。
ここから先はネタバレするので書かないが、そういう体験を通じて、人とのつながりを少しずつ取り戻していくという話。

今はチャットによるイジメやもっと陰湿なイジメがあると聞くが、そこまでは扱わない。
あくまで映画で、障害者が出てくるのは、もっとも極端な形でいじめの本質を表そうとしたということだろう。

スポーツ選手の為末大氏が、いじめについて語っている言葉を思い出した。

「いじめが起きる構造は、仲良くするということを第一義においた集団が、仲良くするということはひたすらに摩擦を避けることだと認識し、摩擦を起こす存在を排除することだと私は思っている。」

そのとおりだと思う。
イジメをなくすためには、摩擦を起こす存在を「理解し認める」ことだと思う。
それこそが多様性というものだ。
そんなコミュニケーションの基本が、今の学校では難しくなっている。

それがこの映画のテーマだと思う。

最後のaikoの主題歌はよかった。


| | 映画・舞台 | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0) |

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