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2018.06.20 Wednesday
70回目の桜桃忌
6月19日は太宰治の命日。桜桃忌だった。
覚えている年もあるし、忘れている年もある。 高校時代に太宰を読み始め、大学まで続いて、全集を買ってぷっつり読まなくなった。 何回かここにも書いた覚えがある。 太宰の小説はそれなりに面白いが、それらを読んだあとで読まれるのが書簡集だ。 賞が欲しいとか、金を貸してほしいとか、その手の手紙はたくさん残っている。 今年は没後70年だそうだが、周りの人たちは迷惑をかけられた人も多かったのだと思う。 桜桃忌にはファンが未だに訪れるらしい。 新聞には20代の人の話も出ていた。 津軽の金持ちの息子で、東京に出てきて、小説家になった。 でも、自殺未遂をしたり、薬物中毒になったりして、困った人だったろう。 周りをふりまわして、結局入水自殺をした。 昨日の夜中のラジオ文芸館は、桜桃忌もあってか、太宰の「姥捨」をやっていた。 これなどは、自身の女性との心中事件をもとに書いた小説。 今なら、批判が噴出するのではないか。 自分がこの年になってしまうと、こんな小説は読む気にならない。 まあ、まだ小説仕立てにしているだけ、マシな気はするのだが…。 当時、新潮社から出ていた太宰の本はほとんど読んだはず。 「走れメロス」や「斜陽」のような小説は、まだ覚えているが、数多い短編はほぼ忘れた。 よく考えたら、当時読んだ小説など、ほとんど覚えていないのだ。 かろうじて、日に焼けて茶色くなった文庫本が残っている程度。 SF小説のほうが、覚えているくらい。 それでも、太宰には、どこか人を惹きつける魅力があるんだろう。 没後60年の時にも書いていた。 それを読むと、今の自分とはだいぶ距離がある。 当たり前だが、10年前は若かったのだと思う。 そういうふうに思い出される作家なんだろう。 没後80年になったら、また感想が書けるのだろうか…。 |
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