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2018.06.19 Tuesday
地震
今朝の地震は大きかった。
上下動、左右の揺れがだいぶ続いたと思ったが、30秒程度だったらしい。 改めて、揺れたら何もできないということがよくわかった。 阪神大震災の時は早朝で寝ていた。 もちろんビックリして目が覚めたが、動く間もなく本棚が倒れてきて動けなかった。 でも、寝ぼけていたから、今日ほど怖いという感覚はなかったなあ。 もちろん、あの時より揺れは小さかったが、今朝はいつもの地震ではなかった。 すごい音と振動だった。 うちは棚からものが落ちた程度で済んだ。 すぐに外に出てみたが、近所はどこもそんなに大きな被害はなさそうだった。 テレビを見ていると、壁が崩れたり、火事が起こったりしていた。 小学校の登校の見守りに行く途中、地震による事故にあって亡くなった人もいる。 茨木、高槻あたりがひどかったようだ。 災難は忘れた頃にやってくるというのは、来てしまってから思うもの。 こんな時は、本当に無常を思う。 大震災のときもそうだったが、ほんとに形あるものはいずれ壊れるということだ。 方丈記の書き出しを思い出した。 行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。 よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。 世の中にある人とすみかと、またかくの如し。 玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を経てつきせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。 或はこぞ破れてことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。 住む人もこれにおなじ。 所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。 あしたに死し、ゆふべに生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける… ぼくらの人生も、天変地異の前では、水の泡みたいなものなのかもしれない。 |
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