考えたこと2

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ホームドラマ
「へそくり」というのは、今でも若い人たちは使ってる言葉なんだろうか。
ぼくは、自分では使わないが、ドラマなどでよく出てきた。
昔のホームドラマではよく使われた言葉だ。
倹約や内職をして、内緒で貯めたお金、というのが意味。

そういえば、最近ホームドラマというのはあまり聞かない。
中学校の頃やっていた、「ありがとう」というホームドラマはよく見たなあ。
3丁目4番地とかいうのもあった。

画一的な「家族」の像がなくなって、必然的にホームドラマもなくなったのかもしれない。
それとともに、「へそくり」も聞かなくなった。

脚本家の橋田壽賀子が「何でもないホームドラマが生きられない時代になったって思うんですね。だったら、もうやめてもいいなっていう気がします」と言ったのが2015年。
70年代、80年代がホームドラマの黄金期だったという。

たしかに、核家族化が進んで一つの家にたくさんの家族がいる時代は終わった。
それとともに、ホームドラマはなくなった。
ここ2回の東京制作の朝ドラ、「ひよっこ」「半分青い」は田舎からヒロインが出ていく旅立ちのドラマで、そういうシチュエーションが共感されるということだろう。

70年代なら、都会が舞台で、そこにずっといるヒロインとその家族という「ホームドラマ」だったが、たしかにドラマ性としては薄い。
刑事ドラマのように殺人は起こらないし、医療ドラマのように人が死にそうになったりしないし、企業ドラマのように買収されそうになったりもしない。
家族とその周りの状況が変わることで、人間関係の軋轢に悩んだりする。
そんな誰でもに起こりそうな悩みを扱って、ホームドラマは成り立っていたと思う。

専業主婦という、いつも誰かが家にいる状況がなくなってきたのもあるだろう。
今は共稼ぎが増えた。
女性の社会進出がホームドラマをなくしたのかもしれない。

アメリカにもホームドラマみたいなのはあった。
「奥さまは魔女」などはいつも家が舞台。
やっぱり、そういう状態でないと、ホームドラマは成立しないのだろう。
あれは60年代のアメリカだ。

高度成長期、日本は豊かになって、ホームドラマが作られるようになった。
豊かだから、作れたのかもしれない。

今は20年以上続く低成長。
というか、それが普通の状態であり、高度成長期が幸運だったのだ。

その象徴がホームドラマであったのかもしれない。




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