考えたこと2

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どこで死ぬのか
どこで死ぬのかを自分で選ぶのは難しい。
そもそも、自分がまともな精神状態かどうかさえわからないから、それもやむを得ないと思う。

今のところ、日本では8割が病院で亡くなる。
そういえば55年前、母方の祖父が亡くなったのは自宅だったが、その後は身近な人はいない。
今は何となく、病院で死ぬのが当たり前という感じだ。
実際、1952年には日本の自宅死率は81%だったとのこと。
医療が大幅に進んで、逆転した。
それが医療費を増大させている原因でもあるのだが…。

欧米では病院で死ぬのは5割くらいらしい。
アメリカは保険制度が大きく違い、病院に入れない人もいるのだろう。
それでも、死に対する考え方が違うのも事実。

記事によると、人間の身体はよくできていて、死ぬ時に苦しまなくてもいいようになっているという。
命が終わるときには、脳内モルヒネが出て、痛みなどがやわらぐ。
食べられなくなると、脱水と低栄養状態が進み、脳内モルヒネが増加して意識がなくなり、眠るように息を引き取るような仕組みらしい。

ところが、病院にいると、それらの徴候は危険だと判断され、栄養補給されてしまう。
それが死のプロセスを妨害して、結果的には苦しんで死ぬことになるという。

それは延命至上主義と言われて、医療的に「いいこと」とされてきたが、疑問を呈する人も増えてきた。
まあ、そうだろう。
数週間か数ヶ月のために、穏やかに死ぬのを放棄して、苦しんで死ぬ方を選ぶ人が多いとは思えない。
そういう事実を知らないから、延命してしまう。
そんな気持ちがあるから、病院で死ぬのではなく自宅で死にたい、という人が多いのだと思う。

延命するか、しないかではなく、穏やかに死ぬか、苦しんで死ぬかという選択。

人間の身体はうまく出来ているから、本当にそういう風になっていると思う。
生まれた瞬間から、死はプログラムされているのだ。

老いて衰えて死ぬ、という選択。

どこで死のうが、それは賢い選択だと思う。

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