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2018.03.12 Monday
算数の目的
算数の目的とは何だろうと最近思う。
文系私学の大学生に小学校の初歩の算数を教えなくてはならないという事実。 学生たちが、公式に頼り、意味を考えないという事実。 そんな事実を目の前にして、どうしてそれを18歳になるまで放置しておいたのか、と思うからだ。 ぼくは数学の専門家ではないから、大それたことは言えないが、一応理系でメーカーの技術の仕事もしてきたから、体験的になぜ数学を学ばないといけないのか、ということにはおぼろげながら答えを持っている。 でも、それは技術の仕事をする上でのことであり、文系の私学では単なる就職対策でしかない。 それでも、分数や割合の概念を知っていることは、日常生活で大事なことだと思うからだ。 それらの大学生は、計算ができないのではない。 見ていると、加減乗除はできる。 暗算には弱く、簡単な計算でも筆算を使うのだが、計算そのものでつまづいているのではない。 文章題の意味をつかむことが出来ず、イメージができないのだ。 出合い算という計算がある。 離れた2つの地点から、2人の人が異なる速度で各々出発し、いつ出会うのか?という類の問題。 小学校の算数の問題だ。 まず、速度というのは単位時間に進む距離だ、ということを伝える。 1分間に50m進むなら、分速50mということ。 そして、図を書いて、1分後の様子を考える。 出発して1分後にはお互いの速度の分だけ、距離が縮まる。 だから、向かい合って進むときには、お互いの速度の合計だけ、二人の距離が縮むことになる。 出会うということは、二人の距離がゼロになるということだから、もともと離れている距離だけ進むということ。 だから、二人の間の距離を各々の速度の合計で割ってやれば、何分後に出会うのかはわかる、ということになる。 これを図に描いて、説明する。 図を描いて説明を始めると、理解を諦める学生がいる。 頭の中に、抽象的なことをイメージする回路ができていないのだろう。 A君、B君ではイメージできないだろうということで、太郎君と花子さんにする。 それでも難しい。 速度というものが、距離を時間で割って、単位時間で進む距離だ、ということが直感的にわからない。 理屈でも、わからない学生が多い。 分速50mは1分間に50m進むということ、と言っても怪訝な顔をしている。 円を書いて、それを3つに分けて、「はじき」と書かないと速度の問題はできない、と思っている学生もいる。 そういう教えられ方をしてきたのだろう。 速さは距離を時間で割る、というのを円の中の「はじき」で表して、そこで理解を止める感じだ。 割合は「くもわ」。 「比べる数」「元になる数」「割合」の3つを円の中に書く。 こういう教え方をしたら、算数をやる意味がないということがわかっていないのだ。 言葉の意味などというものは、形而上のものだ。 形而上というのは、形があって、触れるものではないということ。 人類が発展してきたのも、そういうことが考えられるからだろう。 その訓練が算数だと思う。 数字などというものは、人間の頭の中にしかない。 抽象概念だ。 一つのリンゴというのはあっても、一つ、というのは世界のどこにもない。 なぜ、算数をやるのか。 なぜ数字を扱うことを就学前からやるのか。 なぜ小学校で速度の問題をやるのか。 それは数字の意味を考えることで、抽象概念の操作をすることを訓練できるからだと思う。 それができないまま、大学入試に通っていいのだろうか。 小学校や中学校、高等学校の教員は、算数ができないことをほったらかしにしているのだろうか。 大学の無償化などの前にやることがあると思う。 |
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