考えたこと2

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先生の教育
ゆとり教育は悪しざまに言われているが、あれ自体が悪かったのでないという意見もある。
教える方の力量が足りなかったということだ。
それは取りも直さず、先生たちが学ぼうとしなかったということだろう。

新しい指導要領が発表されようとしているが、今取り沙汰されているアクティブ・ラーニング(AL)は、総合学習と呼ばれていたものの名前を変えたようなものだろう。
文科省は、それを実現するためには先生を増やしたり、情報機器を揃えたりするという条件整備が必要だと考えているようだ。

ぼくは「ゆとり教育」の二の舞いをしそうな気がして仕方がない。
高邁な理想は結構だが、それを実現するための方法をちゃんと考えているのだろうか。
先生は学ぶのが下手だ。
おそらく、先生の情報機器に対するリテラシーはかなり低いと思う。

一番大事なのは、教育する側の教育だと思う。
それができなかったから、ゆとり教育は失敗した。
いろんな科目を有機的に学ぶというコンセプトは、それをどうやって実現するかという先生の指導の側に問題があった。
実際、そういう指導ができず、何をやっている時間かわからないということになったのだと思う。

いい加減に文科省も、教育関係者も、学習すべきだ。
建前だけでなく、目標を実現するためには先生の教育が必要だ、ということだ。
学び続ける姿勢がない先生は去るべきだと思う。
そして、先生の教育計画を立てないといけない。

単に人を増やすことや情報機器を増やすことではない。
情報機器を入れても、使える先生がいなければ仕方ない。
アクティブ・ラーニングもそれを指導できる先生がいないと、単なる遊び時間になってしまう。
みんなでわちゃわちゃ言って、それでオシマイになる。

先生の教育計画を立て、どんな素養が必要となるのか、どんなテクニックが必要となるのかを示さないといけない。

自分が教えられてきたことは教えられるが、それでないことは教えられないのは当たり前だ。

そんなリクツがわからないのだろうか。

このままいくと、また失敗するぞ。


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