考えたこと2

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科学研究費の無駄遣い
大学ジャーナルオンラインの記事で、科学研究費助成事業の採択率が低下している、という記事があった。
大学関係者なら知っていると思うが、科学研究費というのは教員が申請を出して、文科省から補助を受けるためのもの。
当然、申請書には採択してほしい研究内容とか、その意義などが書かれていて、採択されたら毎年の報告と、最終の報告書を出さないといけない。

下位の私学は少子化のあおりを受けて経営が苦しく、研究費を外部から取ってくることを推奨している。
おまけに、18歳人口は減るが、大学は増え続けている。
1975年に420校だったものが、2014年には781校。教員の数も1975年当時9万人弱だったものが、2014年には18万人を超えている。
採択率の低下には、教員が増えて申請が増えたからというのが自然な理由だろう。

この記事にはこう書いてある。

「大学などの研究者の自由な発想に基づく研究に対し、国が助成する科学研究費助成事業の新規採択率が年々、低下していることが、科学技術・学術審議会学術分科会の研究費部会に提出された文部科学省の資料で分かった。科学研究費の予算額も2017年度はわずかな増額となったものの、減少傾向にあることは変わらず、見直しを求める声も上がっている。」

これだけ見ると、大学は良い研究をしようとしているのに、国が科学研究費を減らしている、という風に見える。
しかし、科学研究費に少しでも関わった事務を経験したものから見ると、ちょっと違う。
大学の立場でいうと、外部資金をもらって研究してもらうのはいいことだし、それは奨励している。
一方で、税金を使われる者の立場で見ると、私学の文系の研究については、こんないい加減なものでいいのか、という疑問が残るのだ。

研究者たちはそんなことは全く言わないが、ぼくは科研費の一番の問題は、成果のチェックだろうと思う。
国のいろんな仕組みと同じく、提出の段階ではけっこうなチェックが入る。
しかし、いったんスタートしたら、ほとんどノーチェックだ。

だいたいの研究は複数年度で計画され、行われるのだが、その途中の段階などひどいものだ。
民間企業の研究なら、毎年査定があって、成果を問われるのだがA4用紙一枚程度の報告がされるだけ。
マジメな研究者はちゃんと計画通り履行しているが、そうでない人もたくさんいる。
それらの研究にかける費用は、その研究者の趣味のようなものであって、ドブに捨てているに等しい。

最終報告書も、文科省は論文を出してくれ、ということでノーチェック。
だいたい、終わってしまったら、もう関係ないというスタンスだ。
役人にとっては、お金を使うことが目的だから、そうなってしまう。

千万以上のお金をかけて海外から研究者を読んでシンポジウムを開き、それがどうなったかわからない。
これは実際に電話をかけて問い合わせた話。
「ホームページに報告が出ています」というがA4の一枚程度の実施メモみたいなものだ。
こんないい加減なことでいいのだろうかと思う。
税金が投入されているのだ。

教員が増えたということは質が落ちたということでもある。
大学の数が増えて、教員の数も増え、申請数も増えているのだから、採択率は落ちて当たり前。
そのことに文句を言うのなら、その研究の結果、どういう成果があったのかをもっと問うべきだ。

それよりも大事なのは質の担保。

マジメな研究者のお金が減って、その分がドブに捨てられている。

マジメに研究をやっている人たちが気の毒だし、税金を納めている国民も気の毒だ。

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