考えたこと2

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アカシアの雨がやむとき
全共闘世代にとって、「アカシアの雨がやむとき」は思い入れのある曲らしい。
こないだ初めて知った。

出だしから「死んでしまいたい」と歌うこの歌詞はインパクトがある。
あまり無いタイプの歌謡曲。
第一次安保改訂の1960年にリリースされた。

Wikipediaによると、全共闘世代とは「1965年から1972年までの、全共闘運動・安保闘争とベトナム戦争の時期に大学時代を送った世代」とのこと。
団塊の世代もこの時代。
その時代の雰囲気がぼくらの若い頃も残っていた。

全共闘世代は、安保反対を叫んで学生運動をしたが、ほとんどの活動学生は普通に就職していった。
結局は大騒ぎしただけで、何も変えることはできなかったというのが、現在の見方だと思う。
ほとんどの学生はわけもわからず参加しただけだったし、指導した学生も主義主張が借り物で、お互いに攻撃したり(内ゲバ)して、まとまりなく消えていったというのが実際のところだろう。

ぼくが大学に入ったのは75年だったが、その頃はもう下火だった。
まだ特徴的な右下がりの文字の立て看板はあったし、ヘルメットをかぶった人たちがうろうろしたりもしていたが、ほとんど影響はなかった。
立て看板には、日帝(日本帝国主義)とかいう文字が踊っていたが、どう見てもそんな政治的状況はなく、浮いていた。
最後には「学費値上げ反対」ということで、ストをしたりしたが、もう終わっていたと思う。
学費は安いほうがいいが、それと安保反対と何の関係があるのか、という感じだ。

当時ぼくは左翼かぶれだったが、全く見ているだけだった。
下宿の友人たちも同じようなものだったと思う。
みんな普通に就職していった。

そんな全共闘世代だったが、彼らが60年代に安保闘争に失敗して、失意の中で聞いていたのがこの「アカシアの雨がやむとき」。
皮肉にも、結果的には日本はその後高度成長し、豊かになって不満はなくなり、全て解決してしまった。
思えばこの時代にもっと先のことを考えておくべきだったのだが…。

「アカシアの雨がやむとき」は全共闘世代の失意に、その虚無的な歌詞がぴったりきたのだろう。
西田佐知子の歌い方も、何となく投げやりで、世捨て人風だ。

そういう謂れがなかったら、この曲は生き残らなかっただろう。

西田佐知子にとっては、そういう「思い入れ」がよかったのか、それともよくなかったのか…。

曲がロングヒットになったのはよかったのだが…。


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