考えたこと2

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小学校の英語教育
2020年から小学校で本格的に英語をやる、ということが決まっている。
でも、小学校の先生は英語の教育についてほとんどは素人。
ALT(外国語指導助手)がつくことになっているが、年を取った先生はシンドイだろう。

教科書はどんなものになるんだろうか。
中学校との連携はどうなるんだろうか。

ぼくが一番不思議なのは、小学校の教員養成課程がそれに先立って変わらないことだ。
文科省の資料を見ると以下のようなことが書いてある。

外部専門機関と連携した英語担当教員の指導力向上
 ・地域「英語教育推進リーダー」養成・悉皆研修
 ・受講した教員・児童生徒のアンケート・検証・改善
 ・県の「英語教育改善プラン」策定・公表(H28年度〜)
  (教員の英語力・指導力の目標設定・公表・検証・改善を含む)
教員養成の抜本改善
 ・コアカリキュラム開発・検証 ・今後の養成課程制度の改善
  小学校英語教科化に対応した中学英語免許状取得支援(H28年度新規要求)
 ・小学校各校一人の中核教員の専門性向上
教員の採用改善
 ・英語力の条件の見直しを県へ要請、取組把握・公表・改善
外部人材の活用(ALT等)
 ・JETプログラム、専門性の高い非常勤講師、地域人材活用

指導力を向上させるために研修するとか、リーダーを育成するとか書いてあるが、肝心の教員養成の抜本改善はまだまだこれからだ。
この文科省の体質はどうにかならないんだろうか。
まず、先生を変えて、そのうえで教育を変える。
それでゆとり教育も失敗した。
このままなら、今回の英語教育も失敗する。

教育に携わったことがある人なら、「先生」の重要性はよく知っているはず。
学校の価値は「先生」の価値とほぼ等価だと思う。
いい先生に習えば、いい生徒が育つのは誰しも思っていることだろう。

小学校の何年の時のあの先生がよかったとか、中学であの先生に出会ったのが転機だったとか、高校のあの先生に会わなかったらとか、大学の研究室のあの先生の一言がとか…、そういうことだ。
誰しも、記憶の中に「恩師」とまではいかなくても、「あの先生」の言葉を覚えていたりするはず。
そういう先生を増やさないといけないのだ。

ましてや今回は今までやっていなかった科目を教えるのだ。
入口の大事さは教育学者でなくてもわかるだろう。
中1で英語を嫌いになる、というショックを和らげるために小学校に英語を導入する。
その対策が、中1の英語の課程を勉強することとは…。
今の英語教育と同じことをやろうとしているんだろうか。
小学校で習うべき英語とはどういうものがいいのか、その答えは考えてないんだろうか。

何かを新しく教える時は、先にその「何か」を教えられる人を養成する、という当たり前のことだ。
今から採用試験の「英語力の条件の見直し」などやっていて間に合うのか。
先生を変えていかないと、アクティブ・ラーニングなど掛け声倒れで終わり、なにをやっているのかわからなくなるに違いない。

せめて民間資格の英検やTOEICの最低限度を決めて運用するなど、文科省が主導でやるべきだと思う。

そして、それが教員の質を上げ、全体を底上げできればと願う。


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