考えたこと2

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日残りて昏るるに未だ遠し
藤沢周平の「三屋清左衛門残日録」というドラマを見た。
北大路欣也が御用人を隠居した老人をいい感じで演じている。

彼がつけている日記を残日録と呼んでいる。
物語りは彼が東北の小藩のお家騒動に巻き込まれていく姿を描く。

三ツ矢清左衛門は、今で言うと、サラリーマンをそこそこの地位で退職したという感じ。
つれあいには先立たれた。
まだ元気は余っているが、やることがない、というところから始まる。
そこで残日録をつけ始める。
それと同時に、お家騒動に巻き込まれていき、やる仕事ができて元気になる。
現役時代のネットワークや、未だに現役の友人の奉行などから情報を仕入れ、若い頃にやっていた道場で剣道の稽古も始める。
子どもに剣道を教えることに喜びを見出す。
選択を誤って出世できなかった同級生との確執もある。
身体の不調も出てきた。キライなお粥も食べないといけない。
友も亡くなっていく。

今まで自分が正しいと思った道を歩いてきたつもりだが、人にはそう見えなかったのかもしれない。
自分を嘆くのは簡単だが、それではいけない。
今、ここで生きるしかない…。

そう考えて、今を一生懸命生きる。

こういうドラマは今ウケるんだと思う。
高齢化の時代だ。
三ツ矢清左衛門と自分を重ね合わせる人は多いと思う。

定年して、何もすることがない。
仕事一途でやってきて、趣味と言えるものもあまりない。
定年当初は同期の退職者といろいろやっている。
でも、最近は一人欠け、二人欠け、だんだんと減ってきた。
自分はまだまだできる、と思っているのだが、世の中が自分を必要としているのかどうかわからない。

残日録の「日残りて昏るるに未だ遠し」という言葉が身にしみる。

ドラマの最後に書かれた言葉。

老いることすなわちまた生きることなり
いつの日か命果てぬとき来たらば
ありがたき心捧げて死を迎えん
されどいよいよ死ぬるその時まで
与えられし命いとおしみて
ひとすじに生き抜くべし

藤沢周平、まだまだ読まれるだろう。

| | 考えたこと | 22:58 | comments(0) | trackbacks(0) |

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