考えたこと2

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奨学金
今、ぼくの勤めていた大学は奨学金の受給率が50%程度になっていると思う。
もらっているのは、入学者の半分くらいだと思うが、その中で奨学金がなければ大学に来ることができない学生がその6割程度はいるのではないか。

下位の大学では、とにかく大学だけは出よう、と思って来る学生が多い。
そのせいで、推薦、AOで半分以上の学生が入ってくる。
一般入試を受けず、先に決めてしまいたいという学生がたくさんいるからだ。

国で今検討されているのは、給付型の奨学金だが、それは成績上位者が前提。
もちろん、経済的な状況も考慮されるんだろう。
下位の大学にはそういう学生はほとんどいない。

実際、大学を出る頃には百万単位の借金を背負って出ていくことになる。
だから、事務の担当者は全力で「できるだけ少なく借りること」を推奨する。
それでも残念ながら、新入生の奨学金のオリエンテーション時に額を増やす人も多い。

しかし、本当に大学で学び、その甲斐があって給料の高い就職先に勤められる人ばかりではない。
中には親が生活費に使ってしまい、休学してお金を貯めて卒業する人もいる。
また、バイト三昧で何をしに来たのかという学生もいる。
もちろん、そういう学生は給料の安いところに就職が決まることも多い。
職員が「この学生は返済できるんだろうか」と心を痛めるような学生もいる。

そういう学生を見ていると、本当に大学に来たほうがよかったのか、と思う。
高校を出て働いたら少なくとも4年間で800万以上のお金を稼ぐだろう。
一方、奨学金を借りて大学を出たら学費だけで400万以上、借金が少なくとも200万弱。
単純に見積もっても、4年で1400万の差がつく。

それだけの価値が4年間の教育にあればいいのだが…。
おまけに、社会としては年功序列が崩れ、実際の職務能力が成果にどれだけ活かされるかという時代になっていこうとしている。
長い目で見ると、単に大学を出ることにどれだけの価値があるんだろうかと思う。

奨学金は学生を助けるためのものだが、それは取りも直さず学校を助けてもいる。
その制度がなければ、大学に来れなかった学生もたくさんいるだろう。
下位の大学では、奨学金があるから経営が成り立っているという側面もあるだろう。

それだけの思いを大学は受け止めているだろうか。

下位の大学では、シンドイ学生を受けて入れているというのが事実だが、それに応じた教育システムを作っているかと言われると、そうは思えない。
必要なのは小学校あるいは中学校からの学び直しなのだ。
そんなことは、大学の先生にはできない。
授業を聞いても、難しい言葉は理解できないまま終わる。
話している方も、どこがわからないかがわからない。
就職の時の試験でも漢字の読みや四文字熟語がわからないし、非言語では分数や小数の計算が怪しい。
そういう状態がわかっていて、就職の担当が訴えても、何も変わらない。
とにかく卒業させたらいいと(全部の先生ではないが)思っている。
ほとんどの学生が「優」の成績がつく授業もある。
単位も乱発する。
実際、たくさんの学生を落とすと、教務から文句を言われたりもするのだ。

そんな大学には、きっと来ないほうがいいんだろう。
だから、奨学金は減らすべきだと思う。

それによって、大学に行けない学生ができて、今の下位校はある程度淘汰されたらいい。
そうしないと、いつまで経っても大学は変わらない。

ぼくはそう思う。



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