考えたこと2

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還暦
来年の誕生日が来ると、還暦だ。
入社の頃、定年は60歳だった。
その当時、60歳で定年する人を見ると、長いこと頑張ってこられたんだなあと思った。
それにふさわしい年輪があったのだ。
自分が若かったからかもしれない。

ぼくが入社したのは1979年。
その当時、60歳を迎える人たちだから、戦前生まれになる。
20歳前後で入社したとして、40年程度働くから入社年度は1940年くらいだ。
そのころにもう会社はあったが、戦時中はどうなっていたのか知らない。
戦後に中途入社した人も多かったんだろう。
終戦が1945年だから、それでも30数年働いたことになる。
入社当時退職を迎えた人たちは、そういう年代の人たちだった。

戦前、戦中を生き抜いてきた人たちは、苦労もされただろうし、粗食にも耐えてきた。
だから体力もあると言われていた。
そのことの真偽は知らない。
実際には、当時の男性の平均寿命は73歳。今より7歳下だ。
それでも、定年後10年以上は人生が残されていた。

今は男性の平均寿命が80歳。
この数十年で日本は豊かになったし、人にとっては住みやすくなった。
例えは悪いが、屋外で暮らす野良猫の平均寿命は4年ほどで、それに対して家猫は15年以上生きる。
それほど家の中はいい環境だ。
だから長生きになった。

若い人にツケを回してきた結果の今が1000兆円以上の借金。
だから、これからはそうはいかないだろうが…。

自分がその60歳になる。
若い頃には想像もしていなかった。

日本には、中国から伝来した十干と十二支という暦がある。
ぼくは1957年生まれだから、十干(じっかん)では丁(ひのと)、十二支では酉(とり)になる。
干支の12と十干の10の最小公倍数が60になるので、生まれて60年経てば十二支でも十干でも同じものが来る。
それを還暦という。

十干という数え方は還暦以外ではあまり意識しないものだ。
甲乙丙丁というところまでは、昔の成績で使われていたから、まだ馴染みがある。
そこから後の戊己庚辛壬癸はほとんどわからない。
そういえば、甲子園球場は十干、十二支の最初の年「甲子(きのえね)」にあたる1924年に竣工されたので、そういう名前になったと聞いた。

今は定年が延長され、65歳になっているところが多い。
だから、前期高齢者は65歳から74歳ということになっている。
寿命が伸び、年金が不足する分、5歳後送りされた、ということだ。
そのうち、定年制はなくなるだろうし、それに伴って働く時間も伸びてくる、というか、そうせざるを得なくなる。

若い頃は自分が60歳になった世の中のことを全く想像していなかったが、最近は実態が見えてきた。

若い人たちに頑張ってもらわないといけないのだが、それを支援する仕組みがあまりなく、どちらかというとこの国は若い人に冷たい。

それを、生きている間に変えられたら、と思う今日このごろ。

明日はクリスマス・イブだ。

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