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2016.11.27 Sunday
学生運動の時代
ぼくが大学に入ったのは1975年。
まだかろうじて学生運動の残り火が燃えていた頃だ。 ぼくらのいた学校はわりと学生運動が盛んだったので、まだまだヘルメットをかぶって、タオルで顔を隠したお兄さんたちが学内をウロウロしていた。 それに加えて、共産党系の民青という組織も多かった。 当時の国立大学の学費は3万円とか5万円だった。 今の学費とはだいぶ違う。 大学の数が今よりも300校ほど少なく、大学進学率が今の半分程度の27%だった。 それでも、3万いくらから、5万いくらに変わる時はだいぶもめた。 学費値上げ反対の運動があり、学部によっては授業やテストをボイコットしていたような気がする。 そういう時に、ヘルメットの人たちは活躍した。 ぼくは左翼シンパのノンポリだった。 そういう学生が一番多かったように思う。 こないだ、大学時代の友だちと会って話をした。 彼は学園祭の事務局をやっていたのだが、1回生の時に代表がちょっと政治的なことをパンフレットに書いてしまって、ヘルメットの人たちが集団で文句を言いにきた、という話を聞いた。 長い付き合いだったが、初めて聞いたのでビックリした。 ぼくは落研だったので、全くそういうことには関係なかったが、そういう時代だったのだと改めて思った。 結局はヘルメットのお兄さんたちと平和的に話し合い、そのページを破って発行するということで話がついたらしい。 事務局総出でそのページを破って配ったということだ。 数年前ならゲバ棒で流血だったかもしれない。 大変やったんや、と彼は言っていた。 良くも悪くも、そういう政治的な対立が明確にあったので、学生もそれに参加していたのだろう。 55年体制というヤツだ。 世の中、右か左かという判別軸があった。 各々、それに基づいたイデオロギー(主義という意味だが、信仰のようなもの)があった。 ある意味、今よりもわかりやすい時代だった。 ジェームズ・ボンドの敵はロシアのスパイに決まっていた。 でも、ベルリンの壁が崩れてから、右と左の対立はだいぶ薄まった。 今の時代、どういう対立軸があるのだろう。 アメリカの大統領選で争われたのは、保護主義と自由貿易、グローバリズムと自国優先主義、移民をどう扱うかなどだ。 ドラマで言うと、55年体制の頃は「いいもの」と「悪者」が水戸黄門のようにすぐにわかったが、今なら誰が「いいもの」で誰が「悪者」かはっきりしない。 複数の対立軸が入り組んで世の中が細かく分かれている。 予想ができない時代に入ったと思う。 あの単純な図式でやっていた学生運動の時代が懐かしい。 今とどちらがよかったんだろうか。 |
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