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2016.11.06 Sunday
人工知能のノーベル賞
今日の日経に「ノーベル賞が消える日」という見出しが出ていた。
そこだけ見て、ボブ・ディランのことが書いてあるのかと思ったら、人工知能の記事だった。 宇宙にあると言われている暗黒物質の発見を、人工知能の画像認識でやろうとしている研究者や、人工知能に過去の論文を読ませて仮説を立てさせ、それを検証するという研究者などが紹介されている。 肺の画像情報でガンを見つけるのは、人間よりも人工知能の画像認識のほうが勝っているらしいし、チェスや将棋、囲碁でも人工知能が人間に勝ったりしている。 人工知能が賢くなったのは、機械学習ができるようになったからだ。 昔の人工知能は人間が考え方をプログラムし、それにしたがって答えを出していた。 いかにうまく、もれなく考えるか、というところが大事だったんだろう。 でも、それでは人間の能力を超えることはできなかったし、使われるところも限定されていた。 その方法を変えたのが、機械学習。 コンピューターが自分で学び、答えを出す、という方法。 その背景にはインターネットが普及し、ネット上に膨大な文字や画像の情報が溢れるようになったことがある。 それが機械学習を可能にした。 いくら人工知能が自動的に学ぶといっても、コンピューターが学習できる教材がなければ始まらない。 機械学習で学んで出した答えは、なぜそうなったのかが人間にはわからない。 詳しい理屈はわからないが、機械学習というのは人間の脳神経のつながりの仕組みをプログラムするだけで、どう考えるかはプログラムしないらしい。 そこに大量の知識(文献や画像)を読み込ませ、脳が考えるようにコンピューターに考えさせる、ということだ。 だから、本当にコンピューターが考えて、答えを出した、ということだ。 本来、人間の「ひらめき」みたいなものも、頭のなかに元々入っている知識をつなげるとかいうことだろう。 入っていないものは、「ひらめき」などあり得ない。 それがどれくらい突拍子なつながりか、というところが難しいだろうが…。 結局それらの知識をコンピューターが読めるようになったから、機械学習が意味を持ってきたのだろう。 人間と違うところは、機械は疲れないし、どんなにたくさんの文献や画像でもすごいスピードで読むことができ、それを忘れない、というところ。 スーパーマンみたいなものだ。 どれとどれをつなげて、新しい考えを導き出すかは、ひらめかなくてもコンピューターにはできる。 既に人工知能でヒットする確率を選んで曲を出しているアーティストも、アメリカにはいるという。 ひょっとしたら、日本にもいるかもしれない。 「人工知能がヒットすると言っている」というと、人間は嫌がるだろうから、秘密にするのが普通だ。 そして、人工知能が人間を完全に超えるという「シンギュラリティ」が起こるのが2045年という予想。 その頃までノーベル賞があるんだろうか、というのがこの記事の内容。 記事の最後に「アインシュタインは「人の持つ最も美しく深遠なものは神秘的なナゾへの感覚」という言葉を残した。AIが人知を超えてもナゾを解明したいという好奇心に優劣はない。AIが持ち得ない人間の力は何かを探す旅が始まろうとしている。」と書いている。 そういうことを考え始めると、人間が「生きる」というのはどういうことなのか、につながってくると思う。 生きるということは、生まれていろんなことを経験して、その中から何かを見つけるということだ。 それがノーベル賞であろうが、誰にとってもアタリマエのことであろうが、人生はその人にとって新しいことの連続だ。 2つとして同じものはない。 それにどう反応して、何を引き出すか、というのが生きていくことだと思う。 そのことは人工知能が進んでも変わらない。 最先端はともかく、普通の人間は自分の人生を生きていくしかないということだ。 そう思うと、とりあえず2045年が来ても安心だろう。 |
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