考えたこと2

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Fランク化する大学
Fランク化する大学 音真司 小学館新書

著者は15年以上商社に勤務していたサラリーマン。
30代の半ばに仕事の傍ら大学院に行って、博士課程の論文を書くために退職した、という経歴の持ち主。
大学院の6年間で800冊の専門書を読破したとのこと。

その後、5年間の非常勤講師を3つの大学でやったという。
今は大学を辞めて、自身の会社を経営している。
大学教員は輝かしい職業だと思っていた、という。
その経験でこの本を書いた。
ぼくも大学に転職した時には「大学の先生はエライもの」と思っていたから、よくわかる。

Fランクというのは、予備校が大学のランク付けをするために作った言葉だ。
この本にも説明されているが、「Fランク」とは、受ければ誰でも合格する大学、という意味。
Fランク大学というと、ともすればそこにいる学生を侮蔑的にいう風潮があるが、著者はそれを否定する。

「大学を取り巻く「Fランク化」という現象は、学生のみならず、教員にも、大学運営側にも生じていることであり、さらにいえば、社会に通用する人材を育成することが仕事である大学やその教員が、その役目を半ば放棄していることが、諸問題の出発点にあるように思えてならない。」

この先生は正しいと思う。
長くなるが、教師が怒らなくなっている、というところを引用する。

「こんなことがあった。女子比率の高い、首都圏のB大学のことである。初回の講義だった。履修人数は少なく30人程度だった。私はいつものように気合を入れて、この科目の概要を説明していた。全15回の授業で何を話し、どういうことをみんなに理解してほしいのかを話した。その話の次には、前章にも記載したように、私の講義のルールである出席を取らない代わりにメモを出してくださいとか、私語は犯罪であるから厳しく取り締まるよといった解説をしようとしていた。
 ところがその矢先に、何かのきっかけで、ある女子学生が立ち上がって教室を歩き回り、わざわざ友人とハイタッチをした。イエーイ、イエーイといった感じで、無邪気そうではある。私は本気で怒鳴った。
「おい。こら、ふざけるんじゃない!お前だよ、お前!なに、顔を伏せているんだよ!聴きたくないなら出ていけよ!お前なんかに俺の講義を聴いてもらわなくても、こっちは全然構わないんだよ!」
 最初に教室を歩きまわった女子学生を、徹底的に怒鳴りつけた。あとで問題となっても、B大学をクビになっても構わないと思った。たぶん、私は怒りで震えていたと思う。教室は静まり返った。その女子学生と周辺の友人たちは、真っ赤な顔をして、うつむいている。中には驚いて、少し涙ぐんでいる者もいる。年齢の離れた大人が本気で怒ったので、恐さを感じたのかもしれない。
 彼女たちに、みな悪気はないのだ。大学の講義中に、歩きまわって友人とハイタッチをすることが悪いことである認識がない。これは学生本人にも問題はあるが、それと同時に、今までこの学生に携わってきた教員にも問題があるということだ。
 この講義の最後に回収したメモを読んでいて、気づいたことがあった。「先生が怒ってくれて、見ていてスッキリした。あの子たち、いつもうるさくて、でも全然ほかの先生は注意しなくて、いつもモヤモヤして頭に来ていた。」このようなメモが何枚もあった。
 私が怒鳴りつけた学生は、たまたま今回の私の講義だけでうるさかったのではない。この学生はいつもうるさいのだ。そして、これらの学生が毎回騒いでいるときに、教員が注意していない。講義中にハイタッチして歩きまわる学生を、講義の責任者である教員が注意をしない。これは学生もおかしいが、教員もあきらかにおかしい。メモを読んでいて、「Fランク化」しているのは決して学生だけではないと思った。つまり教員も本気で学生を指導しておらず、大学も手をこまねいているということである。」

これとほぼ同じ内容のことを、ぼくも勤めていた大学の企業出身の先生から聞いた。
いい先生だった。
マジメに教育のことを考えている先生は、そういう疑問にいきつくのがFランクの大学だ。

たしかに、学生にも問題はあるが、それを放置する先生がほとんど。
入れた学生を教育する、という視点ならちゃんとやらないといけない。
でも、それを諦めている教員も多い。
非常勤講師なら、給料が安いというのもあるだろう。
でも、せめて高い給料をもらっている専任教員なら、それはやる義務がある。
形式だけであるとしても、彼らが教授会で入学者を決定しているのだから。

こういうことを続けていると、まともな学生は学校不信に陥り、まともでない学生は学校をバカにする。
彼らも心の底ではいいことをしていると思っていないと思う。
でも、そういうことを許すのは、その学校の教師である。
言い方は悪いかもしれないが、教員がどれだけ本気かを「値踏み」している部分もあるんだと思う。
いくら学校の事務局が「私語撲滅キャンペーン」などやっても、教員が本気にならないと効果はない。

しかし、大人数の授業でも私語がない先生もなかにはいる。
その年のベストティーチャーに選ばれた非常勤の先生だった。
倫理学の授業だったが、学生に卑近なテーマから問題を抽出し、毎回質問をなげかけ、学生に考えさせる。
残念ながら次年度他校の専任になってしまったが…。

昔の大学なら、私語をする学生はいなかったし、講義は聴くものだったが、今のFランク大学ではそんなことは無理だ。
そして、専任教員は大教室の授業を避け、非常勤講師が受け持つという悪循環もある。

話はそれたが、この本はそんな中で、熱意を持った非常勤講師が書いた本だ。

最初の授業の前に、前任の教員からの「引き継ぎ会議」というものがあったらしい。
そこでまず洗礼を受ける。
女子学生がキャバクラで働いているとか、そのために講義中は寝るとか、盗難もあるのでトイレに行くときもカバンを持って行ったほうがいいとか…。
「ヨーロッパ」が国の名前だと思っている学生がいるというのもあった。
世界地図がわからないのだ。

これはぼくも在職中に、顔見知りの英語の非常勤教師から言われたことがある。
「ぼくらはアメリカ人だから、世界地理など知らなくても大丈夫だが、君らは日本人だろう。貿易で食っていかないといけないのに、学生は世界の地理がわかってないぞ。今日は国の名前で授業をしたのだが、中近東がアフリカにあることになっていた…」
ほんまかいなと思ったが、複数の専任教員に確認したら、中にはそういう学生もいる、ということだった。
そういう学生を入試で選別して入学させているのが、Fランク大学だ。
でも、中学、高校は何をやってるのか、と思う。

非常勤講師の控室での話で、Fランク化が広く日本の大学で起きているということが語られる。
ぼくの認識も同じだ。
偏差値だけでは語れない劣化があると思う。

さらに、非常勤講師は薄給である事に驚く。
1科目について、2万数千円から3万円というのが相場。
どこに行っても似たようなもの。
文科省の大学院重点化から、大学は博士の量産をしてしまい、いくらでも非常勤講師のなり手がいる、というのが給料が低止まりしている原因。
著者も言っているが、マジメに授業をやろうと思うと準備等を含めて週に7コマ程度が限度。
でも、非常勤講師でずっと年を取ってしまうと、食えないからコマ数を増やす。
そうすると必然的に授業は手抜きになる。
Fランク化にはそういう問題も含まれる。

そして著者はいかに静かに授業を聞かせるか、ということの工夫を書いている。
まず最初の講義に力を入れたという。
毎回最初の講義の時は足が震えたとのこと。

ぼくも先生にどうやっているのか、聞いた。
いろんな方法があるらしいが、ぼくの尊敬する先生は「簡単や。うるさかったらこっちが話すのを止めたらいいんや。そうしたら、スーッと静かになる。」と言っていた。
マジメな先生はみんな独自の方法を持っている。

最悪なのはマイクの音量を大きくし、「そこうるさい」などと言うこと。
大きな声は私語をも大きくする。
そうなると、学級崩壊状態になるようだ。

さらに、教員がマジメにやると学生も熱心に聞くようになる。
前回の授業の最後に集めた学生のメモをもとに、授業の最初にフィードバックをしたりすると、積極的に授業に参加する学生が出てくる。
Fランク化しているというのは、学生だけが原因ではない。
学生は教師が変えることができる。
これは真実。

ぼくが就職支援の仕事をしている時に、ほとんどの科目が「優」という学生が来た。
「君すごいなあ」というと、「私、おかしいと思います。そんなに頑張ってないんです。回りに聞いたらみんな「優」や言うてます。」という。
成績分布をこっそり調べてみたら、「優」が多い授業がたくさんあった。
本来は上位20%程度という成績のはずだが、下手をすると50%が「優」という授業も多い。
だから、優の上の「秀」を作った、という笑えない話もある。
下の方を通そうとすると、上はみんな「優」になる、ということもあるらしい。
単位を出すことありき、で授業をやっているのだ。
あんまり落とすと、教務課に怒られる、ということもあるとのことだった。
前年度大量に落ちると、次年度の教室が足りなくなったりするからだろう。

専任教員の手抜き講義についても書いている。
非常勤講師は評判が悪いと更新してもらえないから、ある意味しっかりやるのだが、専任教員はそんなことはないので、極端に手を抜くものもいるとのこと。
これも真実。
ぼくもたくさん見た。
よくあるのが、ディスカッション型の授業で、ここでも紹介されている。

「学生から聞いた2つの例を紹介する。1つは「講義をしない講義」として有名なものらしい。50人程度の履修者の授業だが、まず教員がはじめに簡単に今日のテーマを話し、その解説を行う。次に50人の学生をいくつかのグループに分け、そのテーマについてディスカッションをさせる。次に各グループから出た意見を発表させる。教員が最後に意見を述べて、講義は終了となる。
 グループによるディスカッションがムダであるとは思わないし、学生に意見を発表させることも大切かもしれない。しかし、それは、ある程度の基本的な講義を行い、学生に基礎的な知識や情報を提供したうえでの話だろう。たとえば3回程度の講義を経たうえで、4回目にディスカッションをするということであれば理解もできる。
 大学で講義を行ったことのある経験者として言わせてもらえば、知識がないままで学生が議論をしても、ほとんど何も出てこない。学生がもとから持っている少ない知識や感覚だけで議論をし、抽象的な空論に終始することになってしまう。
 ちなみに、この講義を受けていた学生に感想を聞いてみたところ「役に立っているとは思わない。だけど、友だちと話してそれで終わりだから、ラクに単位が取れていい」そうである。」

最近よく聞くアクティブラーニングの危険性がこれだろう。
基礎知識も何も無しで議論しても仕方がない。
それは手抜き授業になってしまう。
そこはわかっているんだろうか。

もう1つの例は、専任教員が授業を頻繁に休講して、補講期間にまとめて授業をする、というもの。
実際、朝の9時から夜の7時くらいまでの授業になり、結局3時間くらい講義をしてあとは省略となる。
体のいい授業放棄だろう。
この事例も見たことがある。

専任教員のレベルの低さはなぜ起こるかについても書いている。
結局採用の方法がずさんであり、古い専任教員の縁故が多いからということだ。
手抜き講義を行う専任教員は教育者として最低だが、研究者としてはどうか、ということについても、著者は「素晴らしい研究者は素晴らしい教育者であることが多い」と書いている。
ぼくもそう思う。
まともな人は何をやってもまともなのだ。
「講義に手を抜く教員は研究者としても評価できない」ということだ。

辛口だが、真実をついている。
長くなった。

後半は大学の問題点は何かとか、良い大学の見分け方、大学生活はゼミで決まる、というような内容。

共感するところが多い。
できれば、今の初等、中等教育の問題点についても、突っ込んでほしかった。

そこが解決しないと、大学の問題は解決しないと思う。

ちょっと悲しくなるが、これが現状だという本。

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