考えたこと2

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入眠儀式2
ぼくが演芸に出会ったのは、小学校のころ。
昭和30年代はまだ土曜日の昼間に角座の中継をやっていた。
正月といえば、三が日で何度かは寄席中継をやっていたりした時代。
そんな中で、テレビが来たこともあり、よく中継を見ていた。

寝る時に聴き始めたのは深夜放送の延長だ。
寄席の放送を録音して寝るときに聴き始めた。
そして、落語のレコードがあるのを見つけ、それをテープに録ったりした。
中学時代、仁鶴が出てきて、めちゃくちゃ面白かった。
貧乏花見、池田の猪買い、七度狐、金の大黒など、毎日聞いていた。

高校に入ってもそれが続き、毎晩落語を聞いて寝るという習慣になった。
入試を受けに行った時も、落語のテープを持っていった。
中学、高校は主に仁鶴だったが、大学に入って枝雀や米朝も仲間入りした。
時にWヤングなども聞いたなあ。

会社に入ってからは漫才ブームがあって、聞くのがいとし・こいしやダイマル・ラケットになったりした。
その影響もあって、ウチの子供たちはいとし・こいしをよく聞いた。
おまわりさんのネタとか、湾岸戦争のネタとか、聞いて笑っていたなあ。
まだカセットテープの時代だった。

そして今はMP3プレーヤーになった。
Youtubeで漫才をパソコンで録音し、MP3プレーヤーに落として聞く。
昔のテープをMP3に変換し、それで枝雀や米朝の落語を聞くこともある。

機器は小さくなり、テープを持ち運ぶ必要もなくなった。
時代は進んで便利になった。
それでも、カセットテープの頃と聞くものはあまり変わらない。
みんな昭和の時代に活躍した落語家・漫才師だ。

一時は音楽を聞いたり、講演を聞いたりした時もあったが、結局は演芸に戻ってしまう。

おそらくもう一生変わらないだろう。

老後のために面白いものを録りだめしておかないといけないなあ。



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