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2016.08.11 Thursday
小学校が大事
8月4日の日経産業新聞にびっくりする記事があった。
「ロボットは東大に入れるか」というプロジェクトで、東大入試を人工知能に解かせている、国立情報学研究所の新井紀子教授が書いている。 冒頭を引用すると、 『「仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている」 オセアニアに広がっているのは何か。仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥ教の4つのうちから選ぶとしたら、正解はなんだろう。 もちろん「キリスト教」だ。そんなことは字が読める人なら誰でもわかる、と思うかもしれない。しかし、それは幻想である。』 これは中学生が教科書の文章を正確に読めるかどうかの問題。 ある市の教育委員会の協力で実施したが、びっくりするのは正解の「キリスト教」を選べたのは全体の54%しかない、ということだ。 さらに、記事は続ける。 「分析を進めると事態は想像以上に深刻だった。約20%の生徒が、「サイコロを転がすのと同じ程度」しか正解を選べていない。うっかりミスをしたどころではなく、たまたま正解しただけに見える生徒が20%もいたのである。さらに肝をつぶすような事実も判明した。学年が上がっても「サイコロを転がす程度」にしか正解できない生徒が減らないのだ。」 間違えた生徒と、たまたま正解した生徒を加えると、なんと7割以上の生徒がこの文章が理解できないということになる。 にわかには信じられない結果だ。 でも、ちゃんと分析して出てきた結果なんだろう。 クチの悪い人なら、答えが直接書いてあるような問題、というだろう。 昔やっていた島田紳助のおバカ番組で出てきそうな問題。 それが本当にわからない生徒が7割もいる、という状況。 分析結果は「つまり、調査した全ての因子の中で、結果を左右するのは入試を経て中学校に入っているかどうか、だけだったのである。」と締めくくる。 事態は深刻だ。 文科省はこの結果をどう考えるのだろうか。 小学校でプログラミングを教えるとか、英語をやるとか言っている場合ではない。 「子どもたちの基礎的な読む力は小学校のどこかの時点で大きな差がついてしまうらしい。読める子は予習も自習もできるが、教科書が読めない子にとっては難しい。小学校から中学、高校へと進むに連れて学力差は開く一方となるだろう。」 ぼくは大学で就職支援の仕事をしていたが、その時に感じたのも、小学校がネックだということ。 割合、百分率がわからないということから始まって、負の数がわからない、分数、小数の計算などができないということだった。 ぼくが気づいたのは算数だったが、実際文章を書くことも苦しかったのは事実。 実際、「民主主義の普遍性」ということについてレポートを書かせたら、何となくおかしなレポートがたくさん出てきて、よく聞いたら「普遍性」という言葉を単に「普通」と思って書いたという学生が多かった、という話も先生から聞いた。 新入生に語彙力テストをやったら、びっくりするような結果がでたこともある。 文科省は大学に「大学教育レベルではない授業をやっている」と文句をつける。 それは事実だし、ぼくもそれはよくないと思う。 しかし、それをやらなければ、おそらくもう学ぶチャンスはないのだ。 入れた方も悪いが、なぜそういう学生が中学校、高等学校を卒業できたのか、ということはもっと問題だ。 政治家や教育者、大学の先生も口をそろえて「教育は大事だ」という。 それなら、もっとこういう事実をわからないとダメだ。 大学の先生の半分はそういう事を知っているはず。 なぜ黙っているのか。 結局自分の研究ができればいいとか、文科省に睨まれるのが恐いということだ。 ぼくは、この結果をもっと真摯に見つめ、まず小学校でちゃんと教えるべきだと思う。 記事の締めくくりの言葉は全く同感。 「小学校では英語教育を充実させたり、高校ではプログラミングを学ぶ新科目「情報1」を必修にしたりする。対話を通じて「深い学び」を目指すアクティブ・ラーニング(能動的学習)も導入するという。 だが、それより優先すべきことがあるのではないか。まずは、すべての子どもが、義務教育終了時に中学校の教科書を読めるだけの読解力を身に付ける。そのようなシンプルな教育目標こそ必要だと思う。」 その通り。 もっと文科省に働きかけてほしい。 |
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