考えたこと2

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原爆慰霊祭
8月6日は広島の原爆投下の日だ。
学校に勤めているときは、車の中で音声だけ聞いていた。
毎年大規模な慰霊祭が開かれる。

知らなかったが、日本版のニューズウィークオフィシャルサイトに「トルーマンの孫が語る謝罪と責任の意味」という記事が出ていた。
今年の5月末の記事だ。
それを読むと、原爆投下の命令を出した責任を持っていた当時のトルーマン大統領の孫として生まれ、それを背負っている大変さがよくわかる。

原爆投下については、いろんな意見がある。
もう戦争は日本の負けだったが、それでもまだ本土決戦、と言っていた日本を早く終戦に導いたという意見もあれば、ロシアに対して原爆の威力を見せつけるために、無理な要求を出して終戦を遅らせ、実験的に投下をした、という意見もある。
記事にもあるが、真実はそれらの中間にあるんだろう。

ぼくはアメリカのやったことはよくないと思うが、それと同時に日本がやったこともよくないと思う。
だから、原爆について一方的にアメリカに謝罪を求めるのは気が進まない。
彼らのやったことは、一般市民を殺傷する戦争犯罪だが、日本だって同じような状況になればやっていたに違いない。
単に負けていたから出来なかっただけだろう。
彼らはジャップといい、ぼくらは鬼畜といい、お互いに人間だと思っていなかったのだから、お互い様だと思う。
被爆体験を伝えている方も、アメリカに行って「戦争で傷ついたのは、アメリカ人も同じだ」と言われて、返す言葉がなかったという。

あの当時、日本の軍部が日本に戦争への道を進ませたことは間違いない。
それに一部の政治家が加担した。

もう戦争が終わって70年も経つのだから、少しは風化して教えやすくなっているだろう。
今の風潮では、戦争は悪であり、してはならないというのが常識的な意見。
でも、それを実現するには戦争の経緯を学ばないといけない。

日本人として、あの戦争は仕方がなかったという意見もあるが、どう考えても、中国で勝手に戦争を拡大していったり、南方の戦線で兵站など全く考えない作戦を何度も実行したり、もう効果がほとんどない特攻をやったりした罪は、広く認識されないといけないと思う。
そういう歴史を総括してこそ、平和を目指すことができるのだろう。
今の平和をヒステリックに求める声などを聞いていると、心配になる。

日本は一方的に戦争を仕掛けて負けた。
戦争に巻き込まれたのではない。自ら戦争をしたのだ。
いくらでも避ける機会はあったのに、戦争に突入したということを知らないといけない。
あの戦争は、日本人がやりたくてやったのだ、という事実。
それを我々自身が反省しないといけない。
東京裁判で連合国はそれを裁いたが、それを日本人自身で裁かないとダメだと思う。
もう関係者はみんな亡くなっているのだから、歴史の上で裁くということだ。
そうしないと、いつまで経ってもあの戦争は終わらないのだと思う。

今年はリオのオリンピックの開会式と日が重なった。
見ていると、世界は平和なように見えるが、テロリズムや覇権主義などの緊張が高まっているようにも見える。

そういう思いを見つめなおす日が原爆慰霊祭。

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