考えたこと2

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ボランティアについて
95年に考えていたこと。ボランティアについてだ。
これにはちょっと解説が要る。

ぼくは高校3年の夏休みに青年赤十字(JRC)というクラブに入った。
そのクラブに友達がいて、誘われたからだったが、何か放課後ダベる場所が欲しかったというのが本音だった。
いろんなボランティア活動をやっていて(赤十字だから当然だ)、それにはあまり参加する気がなかった。
まことに志の低い、不良部員だったことはこの場を借りてお詫びします。
言い訳すると、全くやる気がなかったのではなくて、そういうことをするのが気恥ずかしかったのだと思う。(他人事のように書く)
そこで、「ボランティアと偽善」というようなことを話していた。
その頃から考えていたのは事実。
そういうバックグラウンドがある。
阪神大震災以降、ボランティアをみんな当たり前のようにやる時代になった。
それはいいことだ。
しかし、何となく心の底にわだかまるものもある。
若い人たちがボランティアを一生懸命やるのは立派だとは思うが、自分の目の前のことはどうなっているんだろう、ということだ。
そこをちゃんとしないと、社会はどうなるんだろう、などと今も余計なことを考える。
もちろん、口には出さないのだが…。
ということで、95年のメモ。


ボランティアについて、まず考えたことは、やらなければいけないからやるのか、やりたいからやるのか、という事です。
やらなければいけないから、やるというのは、危険だと思います。
偽善になってしまい、施しになってしまうからです。
また、ボランティアができる、というのは、その社会が豊かであることが必要です。(食うや食わずの状態では、人のことをかまってなどいられません。)
したがって、その社会を豊かにしている人たちに感謝する部分が無いといけないと思います。
私は、自分のことで精一杯なので、ボランティア活動をしたことがありません。
唯一、落研の時に毎年春・夏に各地の老人ホームを慰問して回った位です。
但し、これは自分が好きでこちらから行かしてもらったという意識で、あんまり、ボランティアとは言えないと思います。
しかし、老人ホームで、バカ受けして、口座の後に年寄りの人たちに礼を言われたりすると、何かいい事したのかなあと思います。
私にとっては、こういう状況が最も意識せず、自然にやっていけることだと思います。
ボランティアは、ちょっとした気持ちで出来るようなものではなく、自分がやりたくて、必死になる様なものだと思います。
私はどちらかというと、ずるくて、自分を守ろう守ろうとしているので、何かに必死になるという事を避けてきたようなところがあり、だからボランティア活動というものとは、なかなか縁がないのだと思います。
でも、何か、会社以外のものを通じて、社会とつながっているというのはいいことですね。
自分でも何かやりたいのですが、私の場合、それはボランティアとはつながらないでしょう。

ということで、今もこの考えは変わらない。

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