考えたこと2

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コミュ障
「コミュ障」という言葉、にこにこ大百科のページによると、「コミュ障(こみゅしょう)とは、コミュニケーション障害の略である。 実際に定義される障害としてのコミュニケーション障害とは大きく異なり、他人との他愛もない雑談が非常に苦痛であったり、とても苦手な人のことを指して言われる。」という定義。
ネット上で使われるのがメインだとも書いてある。

これは若者文化的には自称する形で使われることが多いと聞いた。
つまり、「俺ってコミュ障だから」とか、「私はコミュ障気味で」とかいう風に使われるということだ。
これは軽い意味で、クッション的に自嘲して使われるということだが…。

昔に比べてコミュニケーションに障害がある学生が増えたのか、というとよくわからない。
だけど、若い人を見ていて、世代の差を感じる人が増えたことは事実。
自分が年を取ったということもあるのだが…。

まず、社会の変化などに伴って、コミュニケーションの手段が多様化した。
核家族化は一人一部屋を可能にし、テレビなど電化製品も一人一台になった。
SNSなどが増えて、電話等のコミュニケーションが減った。
機器の発達で、電話は誰かがかけてくるものではなく、誰からかかってきたかが事前にわかるものになった。

実際学生を見ていると、電話が不得意な人が多い。
また、地域の異世代間のコミュニケーションが減って、その分学校や塾での近い世代間での関係が増えている。
結局世代が離れたつながりが減少しているのだろう。
20世紀から21世紀になって、社会の構造が変わり、結果的にコミュニケーションが取りにくくなったということだろうか。

いや、ぼくらの時代にも「コミュ障」のような人はいた。
そういう人はそういう人で存在できたのだと思う。
あいつは、ああいうヤツなんや、という暗黙の理解があった。

現代は友だちがいるかとか、人とうまくやっていけるか、空気を読めるかというようなことに過大な価値が置かれているんだと思う。
今も昔も空気を読めない人はいたが、だからといって蔑んだりはしなかった。
今は空気が読めないことは、大きな欠点だと思われる。

友だちの仲間から外され、場合によっては教師からも疎んじられる。
「世界に一つだけの花」と言って、個性的であることがいいことだ、と言っているが、空気が読めない人はそれだけでダメな人になる。
それも個性であると認めないのだろう。

それだけ、人とのコミュニケーションに価値が置かれている。
だから、自分で「コミュ障」という人が増えているのだと思う。

なんか、生きにくい時代になってきたなあ。

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