考えたこと2

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障害者差別解消法
この4月から障害者差別解消法が施行される。
それに伴って、大学でも発達障害などの障害を持つ人には「合理的な配慮」をしないといけなくなる。
国立大学は法的義務となり、私立大学は努力義務になる。

具体的には、教室移動や履修登録ができなかったり、ノートが取れなかったり、グループワークができなかったり、友達が作れなかったりするような、広汎性発達障害や注意欠陥・多動性障害などへの対応が必要になる。
必要になる、といっても、それができるかどうかは別の問題だろう。
どの程度の障害があるか、場合によるからだ。
あまりにひどくて、つきっきりでないとできないというような場合は、実際は対応できない。
だから、「合理的な配慮」が必要になる、という表現になる。

大学入試も一つのハードルであり、みんなができることができないと困る。
教育には効率の観点もあるからだ。
なかには、たくさんの人がいると受けることができないから、別室で受験させてほしい、というような依頼があって、判断に困る。
授業はたくさんの人がいるところでやるからだ。
だから、合理的に考えれば、人がたくさんいるところでは授業が受けられないなら、大学に来ても仕方がないということになる。
しかし、一方で大学受験は学力検査であって、それをちゃんと測るためには配慮が必要だ、という考え方もある。
多くの大学では、そういう要望が出されれば、話し合いのうえで別室受験させているはず。
特に、偏差値が下の方の大学では、一般入試は全入に近い状態で、学生一人いくらという計算も成り立ち、入試そのものが成り立っていないところも多いので、合格してしまうところも多い。

日本学生支援機構によると、発達障害の診断書がある学生が2282名いるらしいが、潜在的にはもっと多いという。
文科省の推定では公立小中学校の約6%に発達障害の可能性があるとのこと。
病気の診断基準がどうなっているのかわからないが、新型うつと同じで、定義がはっきりすると増えていくのだろう。

世の中の病気を増やす傾向は何とかしてほしいと思う。
病気だと診断されると、それは仕方がないと思ってしまうからだ。
それは、「普通ではない」ことを意味して、逆に差別を促進するのだと思う。

昔からそういう人はいた、と言われると、そうかもしれないとは思う。
小中学校の6%というと、40人のクラスで2人ちょっと。
その人たちに発達障害というレッテルを貼っただけのことかもしれない。

そういうレッテル貼りをやった結果、「合理的配慮」が世の中に必要になる。

それだけ、世の中が寛容でなくなったということだろう。
でも、そのレッテル貼りをやっている人たちは、自分たちがその「患者」たちを助け、世の中を良くしていると思っている。

どうもオカシイ。

薬や処置が必要なことは理解するのだが…。


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