考えたこと2

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MRJ
今朝のニュースで国産の小型ジェット旅客機MRJの初飛行をやっていた。

飛び立つ飛行機の後ろには、整備をした人や設計した人など、関係者が並んで見送り、名古屋の空港の回りには沢山の人が来ていた。
単なる飛行機のファンもいれば、実際に関係した人、昔関係していた人などがいて、インタビューされていた。

MRJは三菱重工が作っているのだが、実は以前国産プロペラ旅客機のYS-11を作っていたのも同社だ。
日本の航空機製造の歴史は、戦後に一旦ストップする。
アメリカが日本が飛行機を作ることを禁じたからだ。
航空関係の大学の学部もなくなり、航空技術者は職を変わらざるを得なかった。
その多くの人たちが行った先は自動車業界だった。

そういう歴史の中で、YS-11が長らくプロペラ機の時代を支えた。
航空機製造の全面解禁になったのは、ぼくが生まれた1957年。
1962年から73年まで作られ、実機は2006年まで使われていたとのこと。
その、YS-11の製造に関わっていた人も来ていた。
三菱重工のOBたち。
今のMRJの部品を作っている会社の人もいた。

ふわりと浮き上がった機体がみるみる小さくなる。
きれいな離陸だった。
その瞬間、歓声が起き、みんなカメラのシャッターを切った。
感激のあまり、涙を見せるOBもいた。

日本のメーカーはボーイングなどに部品を入れて、実力を培ってきた。
その努力があったから、MRJができた。
日本の製造業の次の飯の種になる。

自動車が3万個に対して飛行機は100万個の部品がある。
すそ野は広い。

ホンダジェットはプライベートジェット、MRJは小型旅客機。

両者とも頑張ってほしい。

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