考えたこと2

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お迎え
人は死ぬ時を自分で決めることができない。
死はこっちで決めるものではなく、向こうから来るものなのだ。
だから誰かが死んだら、お迎えが来た、という風に言う。

お迎えはいつ来るかわからない。
急に来ることもあるし、ある程度予想が立つ場合もある。
でも、所詮人間にはわからない。
だからこそ、お迎えなのだろう。

だいたいは順番だが、時には番狂わせもある。
お迎えには時に意外さがつきまとう。
小さな番狂わせならまだいいが、大きな番狂わせは気を滅入らせる。
できれば、出会わずに済ませたい。

この歳になると、振り返って自分が生まれた時代を考える。
第二次大戦が終わって12年後。
戦争のあとかたはなかったが、まだまだ日本は世界に追いつかないといけないという時代。
東京オリンピックがあって、万博があって、もう戦後ではなくなった。
働き過ぎた日本人はうさぎ小屋に住んで、エコノミックアニマルと言われた。
モーレツからビューティフルへと言われるくらい、サラリーマンは働いた時代。
土日が休みになったころ、社会人になった。
組織はどんどん大きくなり、仕事は増えていった。
今日より明日、明日より明後日が豊かになると思い、誰も疑わなかった。
欧米に追いつけ、追い越せと頑張ってきたが、もう追いついたと慢心した。
ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われていい気になり、バブルが弾けた。
それから20数年、右肩下がりの経済。
いろんなものが硬直化し、制度疲労を起こしている。
人口が減り、高齢化が進む。
必死でなんとかしようと頑張っているところ、というのが今だろう。

思えばいい時代を過ごさせてもらった。
自分で選んだわけではないから、過ごさせてもらった、というのが本当のところ。
その時は必死で働いていたが、今から思えば、幸せな部類だろう。
こういうのが運命かもしれない。

時代は高齢化社会。
自分も知らぬ間に高齢者になる時が来る。
お迎えがいつ来るかは、わからない。

でも、ぼちぼちお迎えを意識して生きてもいいような気がする。


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