考えたこと2

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教養は重要
インターネット・イニシアティブという会社の社長が、日経に経営者ブログというのを書いている。
鈴木幸一社長は、高校、大学ともほとんど学校に行かなかったらしい。
ブログにはこうある。

「高校、大学と一応は籍を置いて卒業までしたのだが、ほとんどの学習は独学だった。高校、大学と同窓生徒の交流もなく、当然、同窓会など、まったく縁がなかった。卒業後、たまたま、語学のクラスが一緒だった大学の同級生に会ったら、「鈴木さんて、4年間で4日しか大学に来なかったでしょ」と言われてしまった。授業はともかく、何人かの教授とは、食事をしたり、飲んだりしていたのだから、大学とまったく無縁だったわけではない。言語学の高名な教授とは、亡くなられるまで、折節、お目にかかっていた。そんな学生時代の過ごし方をした私は、およそ、教育問題については、知見、識見ともゼロに等しい。」

そういう強者が昔は多かったと思う。
Wikipediaによると、鈴木氏は早稲田の文学部を卒業されたらしい。
そんな鈴木氏が、文科省の国公立大の人文社会学部の見直しのことを書いている。

具体的にはこの通達は「特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」と書かれている。
まあぶっちゃけて言うと、人文社会系学部は見直して、ほかの分野をやったらどうか、というふうに業界ではとられている。

鈴木社長は、その怒れる業界人と酒を飲みながら話をしていたとのこと。
その文科省の社会的要請を聞いて、こう書く。

「教養といった言葉が、死語になりつつある日本にとって、文部省の通知する前提となる「社会的要請」そのものが、知性というものに対する追い打ちのようなもので、短絡的な発想だとしか思えない。」
「日本のビジネスマンが海外に行って、ほんとうに心を通じ合える友人を持ちにくい大きな欠陥として、ビジネス以外の会話ができないことにある。日本の文化についてすら、語るべき内容がない日本人に驚くことが多い。」
「自然科学系の人が文化や歴史といった人文系の学問に興味をもつようにしたり、人文系の学部の人が自然科学や工学のことに関心を抱くようにするといった教育こそ、本当の社会的要請にこたえる方向なのではないかと思うのだが、どうも、最近はなにかと短絡的に過ぎる気がする。」

その通りだと思う。
いろんな分野のことを知りたいと思う場が、大学ではないかと思う。
問題意識のタネをまくということだ。
教養の科目を取ったり、小説を読んだり、友だちの話を聞いたりして、自分の世界を広げることが学部でやることだと思う。
もちろん、専門を深めるのも大事だが、同時に専門バカにならないようにするために、いろんなものに興味を持つことが大事だろう。

もちろん、それは大学でやらなくてもいい。
社会に出てからやってもいいのだ。
しかし、種をまくという作業は暇がかかる。
いろんなことをかじってみないといけない。

友だちの好きな作家を聞いて、それを読んでみようと思わないといけない。
好みの映画を聞いて、行ってみないといけない。
くだらないことを話して、興味の幅を広げないといけない。

そういう場が大学の役割の一つだと思う。

一緒に仕事をした先生が言っていた。

「そこに何があるかわからないが、何かありそうな場所、そういう大学でないといけない」

そのとおりだと思う。



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