考えたこと2

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野球文化
子どもの「野球離れ」に関する記事を読んだ。

ぼくらが子どもの頃は、サッカーより野球だった。
プロスポーツが野球しかなかったからだ。
シーズンになると、毎晩野球中継があって、特に巨人戦や阪神戦は人気だった。
学校でも、古くは村山、バッキー、新しくは江夏や田淵といった名前がよく出ていた。

今ほど盛んではなかったが、少年野球をやっている友だちがいたし、小学校の放課後は手打ち野球もやった。
人数が少ないと、三角ベースでやったものだ。
当時はまだ「空き地」と呼ばれる土地がまだ所々にあって、そこに集まって軟球で野球をしたりした。
グローブとバットは必需品だった。

野球のプレーヤーを支えている、野球人口のピラミッドの底辺の少年野球チームは、なかなか人が集まらなくなったらしい。
チームが存続不能になり、合併したという話は聞いたことがある。
子どもの数自体が減っていて、野球以外の選択肢も増えたから仕方がない。

記事には、親の世代が子どもとキャッチボールをしなくなったということが意外と大きな要因になっているのではないか、と書かれている。
それはそうかもしれない。
キャッチボールが出来る場所が減ったし、周りの人に怪我をさせたら困るという気持ちも働くからだ。
当然、小さい頃にキャッチボールをしなかった子どもが大きくなったら、子どもとはキャッチボールをしないだろう。

ぼくらの世代の父親は、たいがいキャッチボールはしていると思う。
でも、若くなるとだんだんしなくなっているのかもしれない。
それが少子化と相まって、野球人口が減り、リトルリーグのチームが成り立たなくなっているのだろう。

野球文化は、アメリカ文化でもあった。
ぼくらが小さい頃は、もっとアメリカは近い国だった。
テレビをつけたら、そこにアメリカはあった。
日本のテレビ業界はそんなに番組を作る能力がなかったので、アメリカから番組を輸入していた。
サンセット77、ハワイアン・アイ、ベン・ケーシー、名犬ラッシー、ルーシーショー、ポパイなど、子どもから大人までアメリカ文化に染まっていた。
ラジオをつけても、ベストテンの半分は洋楽だった。
だから、スポーツも野球だったのだろう。

戦後の日本は豊かになって、ついにアメリカから経済的にも独立して、そして文化的にも独立したのだ。
強かったアメリカの影響が小さくなるとともに、特に若い世代はアメリカの影響が小さくなった。

それでも、野球の伝統はまだまだ残っている。
もう日本のスポーツの伝統と言ってもいいだろう。

できれば、その火を絶やさないで、キャッチボールを続けてほしいのだが…。






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