考えたこと2

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追悼 花紀京
花紀京という吉本新喜劇の大御所、そういえば長いこと見てなかったが、2003年から病気で活動休止していたらしい。
8月5日に亡くなった。

1989年に吉本新喜劇を退団したとのこと。
父親が有名な横山エンタツだった。

父親もはどちらかというと知性派の漫才師だったと思う。
独特の標準語風の話し方で、アチャコと組んで笑いを取った。
ぼくはリアルタイムでは知らないが、録音で聞いた。
早慶戦が有名だが、もっと面白いネタがたくさんある。

花紀京は「エンタツの子」ということは全くネタにはしなかったと思う。

ぼくらの世代は、吉本新喜劇でリアルタイムで花紀京を見られた世代。
1963年から、約20年の期間だ。

新喜劇での原哲夫との絡みが一番印象に残っている。

花紀京の絶妙のボケの間で、原哲夫が我慢ができずに笑う。
笑って突っ込めない原哲夫に、さらにボケをかます。
役者が舞台で笑ってしまったら、普通はダメなのだが、きっと花紀京はテレビ収録の日は意識してアドリブを入れていたのだろう。
客も原哲夫が笑うのを期待していた。
それを、期待を外さず笑わせる花紀京のボケは見事だった。
客も、花紀京が台本通りやってないんだろうなあ、と思っていた。
わかっていても、原哲夫が笑うのを見て、笑ってしまう。

何となくシニカルなイメージを持っていた。
自分のやっている芸を笑い飛ばすような、そんなんどうでもいい、という感じがあったなあ。
面白いことは、面白くなさそうに話すと面白い、という法則を地で行くような芸風だった。

原哲夫も2013年に亡くなった。
この人もいい喜劇役者だったが…。

あの絶妙の掛け合い、もう見ることはできない。

少しずつ、少しずつ、着実に、昭和は遠くなっていく。



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