考えたこと2

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違和感
今年も広島の原爆記念日が来た。
もうすぐ長崎にも来る。

市長が「平和宣言」を読んでいたが、何となく違和感を感じた。
前にも書いたが、日本人はみんな「被害者」になってしまって、戦争の加害者がいなくなってしまったと思う。
もう戦後70年だから、実際に戦った兵隊さんはほとんど亡くなった。
今、戦争を知っている人は、ほとんどが内地で戦争被害にあった人になった。
だから、実質的にはみんな「被害者」なんだろう。

こないだスポーツジムのロッカーで、「今戦争の話をしてるやつは、戦争に行った人ではなくて、本土で爆撃やらにあった人や。あんなんは本当の戦争の話と違う」と言っている年寄りがいた。
そうやろなあ、と思う。

「戦争は悪い」というだけで、平和になるんだろうか。
「被害」にあった話ばかりして、平和になるんだろうか。
「被害」にあうということは、「加害」した張本人がいるはずだし、そこに至った経緯がある。
日本人として、過去に何度か戦争をしたという「加害」の事実はどこにいったんだろうか。
その事実を直視して、「なぜその戦争をしたのか」ということを日本人が考えて、初めて平和が実現するんだと思う。
それこそが積極的平和主義だと思うんだが…。

日本人が、そういう意識を持たないと、少なくとも、いつまで経っても中国とは相容れないだろう。
「加害」の記憶を忘れるなら、「被害」の記憶も忘れるべきだ。
「被害」の記憶を語り伝えようとするなら、「加害」の記憶も語り伝えるべきだ。
自虐史観ではなく、「なぜ、負けるとわかっている戦争をしたのか」ということだ。
それを日本人が意識することこそ、「もう戦争はしない」ということなるし、戦争をしないためには何をするべきかがはっきりするだろう。
「平和」や「被害」ばかりを訴えていても、戦争は抑止できないと思う。

それに続いて、小学6年生の子ども代表が頑張って覚えたであろう、「平和への誓い」を話す。
こんな文章が小学6年生に考えられるわけがない。
こども代表を出すのなら、もっと子どもの言葉で、子どもが考えた内容で話させるべきだ。
オトナの言いたいことを子どもに代弁させるのは、なんだかなあ、と思う。
言いたいことがあるなら、大人が出てきて話せと思う。
ぼくがひねくれているのかもしれないが…。

形骸化してしまっているのだろう。
もう一度初心に戻って考えるべきだ。

「過ちは繰返しませぬから」という誓いを本当にするために。

ぼくはそう思う。



| | 考えたこと | 22:03 | comments(2) | trackbacks(0) |

コメント
そうだと思う。
僕の父方の祖父は朝鮮半島占領時代の現地の検察官で、
終戦時のどさくさ時の暴動で家からつれさられたまま、
行方不明になったそうです。
加害と被害、歴史は一面だけを見ていては間違います。
| sandasun | 2015/08/07 5:15 PM |

そうだったんですか。
いろいろありますね。

高校で近代史をちゃんとやれという話になって、それはよかったと思います。

内容が問題ですけどね…。


| suzy | 2015/08/07 9:54 PM |

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