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2015.08.06 Thursday
違和感
今年も広島の原爆記念日が来た。
もうすぐ長崎にも来る。 市長が「平和宣言」を読んでいたが、何となく違和感を感じた。 前にも書いたが、日本人はみんな「被害者」になってしまって、戦争の加害者がいなくなってしまったと思う。 もう戦後70年だから、実際に戦った兵隊さんはほとんど亡くなった。 今、戦争を知っている人は、ほとんどが内地で戦争被害にあった人になった。 だから、実質的にはみんな「被害者」なんだろう。 こないだスポーツジムのロッカーで、「今戦争の話をしてるやつは、戦争に行った人ではなくて、本土で爆撃やらにあった人や。あんなんは本当の戦争の話と違う」と言っている年寄りがいた。 そうやろなあ、と思う。 「戦争は悪い」というだけで、平和になるんだろうか。 「被害」にあった話ばかりして、平和になるんだろうか。 「被害」にあうということは、「加害」した張本人がいるはずだし、そこに至った経緯がある。 日本人として、過去に何度か戦争をしたという「加害」の事実はどこにいったんだろうか。 その事実を直視して、「なぜその戦争をしたのか」ということを日本人が考えて、初めて平和が実現するんだと思う。 それこそが積極的平和主義だと思うんだが…。 日本人が、そういう意識を持たないと、少なくとも、いつまで経っても中国とは相容れないだろう。 「加害」の記憶を忘れるなら、「被害」の記憶も忘れるべきだ。 「被害」の記憶を語り伝えようとするなら、「加害」の記憶も語り伝えるべきだ。 自虐史観ではなく、「なぜ、負けるとわかっている戦争をしたのか」ということだ。 それを日本人が意識することこそ、「もう戦争はしない」ということなるし、戦争をしないためには何をするべきかがはっきりするだろう。 「平和」や「被害」ばかりを訴えていても、戦争は抑止できないと思う。 それに続いて、小学6年生の子ども代表が頑張って覚えたであろう、「平和への誓い」を話す。 こんな文章が小学6年生に考えられるわけがない。 こども代表を出すのなら、もっと子どもの言葉で、子どもが考えた内容で話させるべきだ。 オトナの言いたいことを子どもに代弁させるのは、なんだかなあ、と思う。 言いたいことがあるなら、大人が出てきて話せと思う。 ぼくがひねくれているのかもしれないが…。 形骸化してしまっているのだろう。 もう一度初心に戻って考えるべきだ。 「過ちは繰返しませぬから」という誓いを本当にするために。 ぼくはそう思う。 |
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