考えたこと2

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デイヴ・バリーの笑えるコンピュータ デイヴ・バリー 草思社
この本は今の本ではない。
日本で1998年に発行された。17年前だ。
翻訳だから、おそらく本国アメリカでは97年以前に発行されている。
マイクロソフトの年表でいえば、Windows95の時代。

コンピューター関係の古い本というのは、実用的には買う価値はないのだが、この本はちょうどインターネットが始まった時代に、コンピュータは便利(なはず)だと思って、コンピュータを使おうと格闘した男の記録だ。
それも、かなり自虐的になって、ギャグにしている。
あの時代、マイクロソフトと付き合って、MS-DOS、Windows3.1、Windows95の時代を過ごした記憶がある人にとっては、懐かしいと同時に自虐的になって笑える本だ。
そう思うと、今は考えられないほど便利になった。

表紙の裏に書いてある。

「パソコンの世界は実にワケがわからん。恐るべき厚さの難解きわまりないマニュアルを解読することにはじまり、人生においてなぜかくも卑屈な思いをせねばならんのかと歯噛みする、ショップ店員やサポート担当者とのやりとり、あるいはネットサーフィンの行く手行く手にとぐろをまく痴性あふれるチャット。何たる世界か−とお嘆きのあなたにとって、本書はまさに福音である。なにしろ、ピュリッツアー賞受賞者(ホント)であるディヴ・バリーが、その持てる力を小出しにしてパソコンの現状とか未来とかそんなものに取り組んだ、サイバー世界の超話題作なのだ!」

90年代後半は、パソコンの普及が始まった年。
ぼくの勤めていた会社も、Windows3.1のパソコンのデスクトップをフロアに1〜2台入れ、使い始めたころだった。

その当時、アメリカのMBAを取ってきた社員にMacを見せられ、一目惚れした。
そして、MacのLC430という機種を買った。
だから、家ではMacを使い、会社ではWindowsを使っていた。
もちろん、ぼくのいた技術部が1人1台のパソコンになるには、Windows98の時代を待たなければならなかったが、それでもかなり早い方だったと思う。
この本は会社のフロアにパソコンが数台という時代の話になる。

当時インターネットは黎明期で、ポータルサイト(ヤフーやグーグル)はなく、ガイドブックを買ってきて、アドレスを打ち込んでみる、というやり方だった。
World Wide Webが始まった頃だ。
わけの分からない英文のサイトを喜んで見たりしていた。(日本語のページはまだ少なかった)
当時話題になったケンブリッジ大学のコーヒーメーカーのサイトも見た。
どこやらの研究室のコーヒーメーカーの様子が映し出されるもので(ただそれだけのことだ)、それを感激して見ていたりした。
何せ家にいたまま、イギリスの大学の研究室を見ることができるのだ!
案の定、この本にも紹介されている。

作者はこの時点までに20台以上のコンピュータを所有してきたとのこと。
かなりのオタクである。

この本を書いた目的が、序章に書いてある。

「わたしは本書で、あしたのビジョンをあなたに提供する。さあ、わたしの手を取って、みずみずしい驚異に満ちたサイバーワールドを一緒に探索しよう。コンピュータのことを何も知らなくても、恐れることはない。こむずかしい専門用語の銃弾をあなたに浴びせたりはしない。わたしが差し出すのは、素朴で、実践的で、秩序正しく、わかりやすい情報ばかりであり、その多くは、書きながら捏造していくのだ。というわけで、この章の原稿をわたしのコンピュータのスペルチェックで推敲するあいだ、少しだけ待っていてほしい。水耕が終わったら、さっそく、より赤るい、より怪敵な、そして、より凄惨的な味蕾への足袋に失発しようではないか。」

最後の文章は、当時のコンピュータのスペルチェックを皮肉ったもの。
原文ではどんな英語になっているのかは知らないが、なかなかよくできている。
あの当時の日本語変換もたいがいひどかった。
なつかしい。

電脳小史という章には、Windows95のことが書かれている。

「ウィンドウズ95の大きな改良点は、それまでのウィンドウズ各バージョンと類似性がほとんどなく、しかも使い方が誰にもわからないというところにある。当然ながら、これはたいへんな人気を呼んだ。みんなが欲しがった。マイクロソフトには、まだ電気の通っていない熱帯雨林に住む人種からも、大量の注文が舞い込んだという。
 これまた当然ながら、消費者たちもそのうち、ウィンドウズ95を使って実際に何かをする方法が少しずつわかってくる。そうなるとソフトウェアの作者たちは、ここでまた、そういうユーザーの裏をかくための新しい手立てを考えなくてはならなくなる。そして、ご安心あれ、彼らはそれをちゃんと考え出すのである。今だって、彼らは、実行している最中に百パーセント互換性のない新バージョンへ自動的にアップデートする画期的なソフトの開発に取り組んでいる。それから、ハードウェアの製造者たちの存在も忘れてはいけない。彼らは常に、より速く、より性能のいいコンピューターを世に送り出し、甘言を弄してあなたに買わせたその機械が、一カ月後には時代遅れのぽんこつと化してしまうよう、たゆみない努力を重ねている。
 そう、有史以前の人類が洞窟の壁につたない数字を書きなぐっていた時代から、われわれは、はるか彼方に来てしまった。その遠い遠いご先祖たちが、最新式のコンピュータを見たら、いったいどういう反応を示すだろう?彼らはおそらく、石で力任せに殴りつけて、コンピュータに言うことを聞かせようとするに違いない。原始人は、われわれが考えているよりずっと賢かったのである。」

万事、こういう調子だ。
いかにも、コンピュータ好きらしい皮肉ではないか。

この気持ちはぼくも思い出した。
90年代後半から、2000年代にかけて、そういう時代だった。
次は、どんな新しいソフトが出るのだろうかとか、次のOSはどうなるのだろうかとか…。
自分が使うことよりも、どうなっていくのかに興味があった。
実際、不便で遅かったから、速くなって便利になってほしかった。
この頃は、ハードもソフトもどんどん進んでいったと思う。
必然的にソフトの互換などは犠牲になったのもあった。
コンピュータの進化のまっただ中の時代だったと、今になって思う。

何かのソフトを入れたら、別のソフトとぶつかって動かなくなったり(メモリを取り合いしたりしたんだと思う)、動いていたらと思ったら、画面が凍りつく(フリーズという)こともよくあった。
大事なデーターが、突然のフリーズでなくなることもよくあった。
夜中に仕事をしていて、「あ」という間にデーターがなくなると、本当にめげる。
それまでの苦労が水の泡になる。
熱中してやっていると、セーブをするのを忘れてしまうのだ。
事務所では、毎晩のように、どこかのデスクで「あ」という声を上げていた(これは言い過ぎ)。

68ページにその様子が書いてある。

「あちゃ〜っ」
「おれのレポート、いったいどうなっちゃったの?」
「あのレポート、ないと困るんだよ!!」
(コンピュータをたたきながら)「レポートを返してくれなかったら、おまえの親友のファックス機を窓からほうり出してやるからな!」
「待った!画面にメッセージが出てきたぞ。なに、なに、”BIOSのROMのオートキャッシュにフォーマットエラーがあります”だって?こりゃ助かった。テクニカル・サポート・ホットラインに電話できるぞ」
(受話器から流れるトム・ジョーンズの「何かいいことないか子猫チャン?」に百七十三分間耳を傾けたあとで)「マニュアルを読もうっと」
「これを書いたの、誰だ?国税庁か?」
「ああ、あった、あった。三百六十七ページね。”BIOSのROMのオートキャッシュにフォーマットエラーがあります”というメッセージは、BIOSのROMのオートキャッシュにエラーが存在することを示しています」と、おちょくってるのか?」

この後、息子に頼んでレポートを出してもらい、バイクを買う約束をしてしまう…という話になる。
こういうことが世界中のいろんな所で、日常的に起こっていたんだろう。
今となってはなつかしい。

そして、この時期のインターネットについても書いている。

「インターネットは、人類のコミュニケーション史上において、”キャッチホン”以来の大発明と言っていいだろう」

さすがにバリーもインターネットのその後の利用がここまで来るとは思っていなかったと思うが(たぶん、ほとんどの人は思っていなかったと思う)、それでも、インターネットの可能性は感じていたんだろう。
もちろん、キャッチホンとは比較にならないのはギャグで言っている。

でも、この頃はまだAOL(アメリカオンライン、日本ならニフティあたりに相当する)のチャットルームやフォーラムなどが、話題になっていた。
そういう時期を経て、ホームページ全盛期になり、グーグルが出てきて、今がある。
今やホームページの無い会社は存在しないのと同じだ(と思う)。

さすがに、このへんはちょっと陳腐化しているが、前半は当時を経験した人にとっては、思わず笑ってしまって、そして、なつかしくなることが多いと思う。

結論のところで書いている。

「本書を執筆するにあたって、わたしは、コンピュータ革命というものの概要を、一般の読者や門外漢にも理解できる形で説明するよう心がけた。ここで言う”門外漢”とは、”斧を使わないと、子ども用アスピリンの瓶のふたをあけられない人”というほどの意味である。
 わかっていたことだが、これはたやすい仕事ではなかった。なぜなら、(a)きわめて複雑な技術的問題が数多く含まれ、しかも、(b)わたしには、取材や調査をするつもりなどまったくなかったからだ。そういう制約にもめげず、実用的にたいへん価値の高い情報をできるだけ多く盛り込むよう努めてきた。ただし、せっかくのその情報が、書いた数分後には時代遅れのものになってしまうという事実は、いかんともしがたかった。読者に対する啓蒙という見地から言えば、本書がスワヒリ語で書かれていたとしても、たいした違いはなかっただろう。コンピュータ革命においては、人間の脳みそでは把握しきれないほどの速さで状況が変化していく。だから、事の本質をちゃんと理解できるのは、十四歳の少年たちだけなのだ。」

「しかし、ハードウェアとソフトウェアの未来がどんなに華々しくとも、本当の”活気”は、インターネットの領域に、とりわけワールド・ワイド・ウェブにある。これを書いている時点で、ウェブには縦横にリンクし合った一千四百万のホームページがあり、ページ製作者の大半を占める大学生たちが、自分はどんな顔をしているかとか、どのロックバンドが好きかとか、どんなスナック菓子を食べるかとか、ブリーフとトランクスのどちらがいいかという情報を、全世界に向けて発信している。そういう情報は、もちろん非常に重要だが、ウェブにはまだまだ、われわれの生活を向上させる大きな可能性が秘められていて、それはひと言で言うなら、ものを売ることである。」

冗談が多いバリーも、さすがにインターネットは将来商売の元になると予言している。
今のアマゾンだ。

この本は面白い本だ。
90年代から、コンピュータに慣れ親しんだ人にとっては。

そして、アメリカ人が単に新しいもの好きであるだけでなく、その機械を進んで使おうとし、そしてワケが分からなくても使っているうちに何とかなる、という楽観的な人種であることがわかる。
ぼくはアメリカの会社にも関わったが、とにかく何でも彼らはコンピュータに記録していた。
それが、当面、使われなくても、いつかは使えるようになるはずだ、と思っていたのだろう。
実際、それは役に立ったのだ。
日本人なら、いま役に立たないのなら入れない、という選択をするところだが、アメリカ人は違う。
そんな違いも思い出した。

ちょっと、世の中全体が躁状態になっていたんだろう。
この状態が突き進んで、90年代後半にITバブル状態になり、2001年にバブルが弾ける。
そんなワケのわからない明るさがあった。

今となってはノスタルジックに笑うしかない。
でも、貴重な記録だと思う。
この本に書かれているギャグを、ギャグとわからないといけないが…。
思い入れがあるので、長くなってしまった。

当然、絶版で古本しかない。
アマゾンの古本を1円で買った。

そういう本だ。



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