考えたこと2

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ロビンソン・クルーソーと浦島太郎
日本で「浦島太郎」というと、長い間どこかへ行っていて、急に帰ってきて回りについていけない、という状況を表す例えに使われる。
長年の海外駐在から帰ってきて、日本の本社に出てみたら浦島太郎状態だった、というような言い方。

今日翻訳の本を読んでいたら、そういう意味の「浦島太郎」に「ロビンソン・クルーソー」というルビがふってあるのに出会った。

英辞郎Webで調べてみたが、「ロビンソン・クルーソー」を日本語で例えられる「浦島太郎」の意味で使っている用例は載っていなかった。
でも、原本では「ロビンソン・クルーソー」を使っているから、そういうルビをふったんだろう。

ロビンソン・クルーソーは架空の人物だが、無人島に取り残されて28年間過ごした。
きっと28年経って故郷に帰ったら、だいぶ様変わりしているだろう。
だから、ロビンソン・クルーソーという例えになったのかもしれない。

浦島太郎の場合は、竜宮城に何日かいたら、もとの故郷では白髪のおじいさんになるくらいの時間が経っていたという、相対性理論の世界だが、ロビンソン・クルーソーでは、たんに28年経っただけのなので、例えとしては浦島太郎の方がよく出来ている。
読んでいた本がコンピューターの本だったから、ロビンソン・クルーソーでもよかったのかもしれない。

でも、これをロビンソン・クルーソーで例えたということは、それ以外にアメリカには浦島太郎に似た話はないということだ。
フランスには類似の話はあるみたいだが、そんなに有名ではないのかもしれない。

浦島太郎の話は、世界中どこでも同じスピードで時間が経つという、ぼくらが持っている常識を覆すところに面白みがある。
こういう話を聞いていた日本人は、アインシュタインの相対性理論も理解しやすかったのかもしれない。
そういう意味ではなかなかスゴイ昔話だ。

まあ、理解はしても、そういう発見はできなかったのだが…。





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