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2015.07.08 Wednesday
杜撰な国立競技場
今日のクローズアップ現代でやっていたが、オリンピックの招致のための国立競技場はサッパリわやになっているのがよくわかった。
だれも当事者意識がない。 デザインのコンテストの段階で、だれもが「きっと東京は選ばれないだろう」と思っていたと誰かが言っていた。 イラン人のデザイナーの絵を見て、建築家たちは建設費がかかるぞ、という議論をしていた。 なかには、そもそも不可能だという人もいた。 でも、斬新なデザインのものでないと、インパクトがない、ということで、建設費の確認がないまま進んでしまった。 きっと委員の人たちは、万が一東京になったら、エライコッチャなあと思っていたんだろう。 だいたい、こんなプロジェクトを文科省がやるのが間違っている。 もっとまともな役所にやらさないと、スポーツだから文科省、という決め方が無責任だ。 今の義務教育の体たらくを見たら、こんな役所に任せられないというのは誰でもわかる(と思う)。 エイヤ、で出した建設費でも、1300億。 それでも、北京やロンドンの倍以上だ。 さらに、その倍の費用がかかるという。 建設する場所の問題もあるそうだ。 ぎりぎりの場所だから、効率が悪い。 おまけに陸上競技だけでなく、サッカー、野球、それにコンサートなどもできるというふれこみだ。 だから、屋根が必要。 でも、屋根は建築費の問題で、設置しなくても2600億くらいかかるらしい。 クローズアップ現代に委員だった東大の先生が出ていたが、リーダーシップの欠如を言っていた。 今頃言うのなら、その時言っとけよ、という感じだが…。 行政の主催する会議というのはこういうのが多い。 みんなで決めたらいいというカタチだ。 委員長はいるが、雇われ委員長で、決めたら終わりという格好。 本来なら主催者がリーダーをやらないといけないのに、裏方に回る。 先生、お願いします、というやつだ。 それらの先生は呼ばれてきただけであり、日を決めて集まっているに過ぎない。 決定事項がややこしくなってきたから、違う日に集まろうとか、1ヶ月に1回だったけど、週に1回でやろうとか、まず言わない。 言っても、みんなが来られない。 所詮は集めた人は集めた人なりのことしかしない。 委員長も同じだ。 だから、集めた役所がリーダーシップを取らないといけないのに、取ろうとしない。 責任を取りたくないから、よけいなことをしたくないのだ。 それが極まったのが、国立競技場。 多かれ少なかれ、行政が集めてやる委員会など、同じようなものだと思う。 同じようにして、70年ほど前、戦争を始めたんだろう。 全く治っていないぞ。 |
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