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2015.05.09 Saturday
一般的か個別的か
若い時は一般的なことに興味があった。
普遍的といってもいい。 個別のことにはいろんな事情が伴うが、一般的なことはあくまで一般的だから、用途が広くて役に立つと思っていた。 自分の可能性が広いと、一般論が知りたくなるのだ。 若くて時間が無限にあるから、余分な制約は要らないのだ。 だから、若い時は一般論を求めた。 でも、年をとってくると、一般的という言葉はあまり意味がなくなる。 この先、自分にできることとできないことがわかってくる。 というか、できないことがどんどん多くなってくる。 自分の過ごしてきた時間が制約になる。 その制約があること自体が個別的ということだ。 高校の時だったか、亀井勝一郎の人生論を読んだ。 いくつかの言葉をノートに書き写した覚えがある。 ああいう本こそ、若い人向けの一般論だと思う。 人生とは何か、一般的に説明してくれている。 でも、今はその手の本は敬遠する。 今さら、人生とは、など知っても仕方がないと思う。 もう過ごしてきたからだ。 たとえ感心する事が書いてあっても、もう手遅れだ。 そう思うと、若い時はよかったと思う。 何を読んでも感心できた。 もちろん、オカシイと思うこともあったが、ほとんど感心してきたと思う。 若い時は若いときなりの、年をとったらとったなりの喜びや苦労がある。 どんどん個別的になるのは、仕方がないことなんだろうが、あんまりいい事とも思えないなあ…。 |
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