考えたこと2

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自己点検
自己点検という言葉、聞き慣れない言葉だろうと思う。
文字通り、自分で自分を点検する、という意味だ。
これは文部科学省、大学で使われる用語。
まともな大学関係者なら知っている言葉になる。
しかし、意味と歴史を知っている人は意外と少ないのではないか。
多くの大学関係者は本音ではこんなもの要らないと思っている。
特に歴史のある大学ほど、何でこんなことをしないといけないのか、と思っている人は多いと思う。

weblioというWeb辞書の高等教育質保証用語集によると、「大学等が、自己の目的・目標に照らして教育研究等の状況について点検し、優れている点や改善すべき点などを評価し、その結果を公表するとともに、その結果を踏まえて改善向上を行っていくという質保証の仕組み。学校教育法において、その活動が義務化されており、高等教育の質保証は一義的に大学等自らが主体的に行うものという点が示されている。 」と書かれている。

この自己点検は91年に努力義務化され、99年に義務化された。
大学の自治に任せて9年間待ったが、何も前に進まないので義務化した、と言われている。
まあ、そうだろう。
「大学の自治」は大事だが、何もチェックをしなくていいという事ではない。
株式会社が株主総会をやって、株主の評価を受けるように、大学もステークホルダーの評価を受けなければいけない。
自己点検でちゃんと出来るのなら、9年も待たなくてもちゃんと出来ているはずだ。

日本には学問をやっている人たちはエライという間違った認識がある。
全て性善説でやっていればうまくいく、というものではない。
優秀な研究者が集まっていると言われている、理研の小保方騒動をみれば、それは明らかだ。
組織を運営するという面では、明らかに素人だし、全くエラくない。
ぼくの理解では、学校という組織をその総体で捉えられる人は、ほとんどいなかった。
学問をやっている(かどうか疑問な人もたくさんいるが)人たちは、学問のプロであって、組織運営が出来る人ではない。
もちろんそういう見方ができる人も中にはいるし、そういう人が上に立ったらラッキーだと思う。
彼らの意見は学校として尊重すべきだが、全部自治に任せるのは間違いだ。
まして、私立大学でも税金が投入されているのだから、外部からチェックをするのが当然だと思う。

ぼくが大学に転職してすぐの2005年に、教授会で自己点検の外部認証を得るためには、「教員の昇任基準」を明確にしないといけないということで議論されていた。
要はちゃんと資格を持った人に教えさせろということだろう。
これが紛糾した。
教授や准教授(当時は助教授)に昇任するためには、「過去●年に査読付きの論文数●本」という基準を明文化したのだ。

まだその当時は、事務のメンバーも教授会に出ていたので、その一部始終を聞かされた。

一番文句を言いたかったのは、もうすぐ教授になれるとか、准教授になれる、というような人たちだった。
明文化以前の人たちは、そんな基準は適用されずに昇任した、ということだからだ。
それは要するに、査読付きの論文など出さずに教授や准教授に昇任していたということだろう。

中には「そんな基準を作るんだったら、いままで昇任した人はどうなるのか」という、あまりにも素直な人もいた。

もちろん、過去に遡及して規則を適用しない、というのは常識であり、そんなことを言い出したらどんな規則も成立しない。
それでも、よほど悔しかったのだろう。
その議論で1時間ほどかかったかもしれない。

バカバカしい議論だったが、そういう議論をする学校もあるということだ。
これは後日ぼくが理解したことだが、そんな基準を厳格に適応すると、多くの人が昇任できない、という事態になる。
文科省が一つ一つチェックするのは不可能だが、その論文が査読をされているのかという基準が不明確だから、そんなことが起こる。
それが「大学紀要」とか「学部紀要」という雑誌が増える原因だ。
さすがに大学の内部からも批判が出てきたのが実情。

もちろんそんな学校ばかりではない。
上位の学校はもちろんちゃんとやっているだろう(ちゃんとやってもらわないと困る)。
でも、おそらくそうでない大学もあると思う。
そこには、日本の大学が急激に増えすぎたことや、設置基準が緩和されたことなど、いろんな要因がある。
しかし、いったん大学が出来てしまったら、後のチェックは任されるということが、こういうことが起こる原因だろう。
だから、自己点検をしないといけないということだったんだと思う。

何度も言うが、ちゃんとやっているところはちゃんとやっているのだろう。
しかし、ちゃんとやっていないところも確かにある。

人間、そんなに厳しくないから、自分で自分を点検することなど難しい。
ましてや、それを組織としてするなど、土台ムリなのだ。

そして、外部評価といっても、大学の関係者がやっている。
やらないよりはマシなのはわかっている。
でも、前述の記事を見てもらったらわかるように、実態はユルユルなのだ。

これが大学のやっている「自己点検」という、けったいな日本語の意味だとぼくは理解している。



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