考えたこと2

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週報
ぼくは大学で進路支援をしている7年間、毎週、その週の業務を文書で報告していた。

それは前の会社で「週報」というものを出していたからだ。
その流れで、書き始めた。
実は会社時代の週報は、隔週で発行して、それを持ち寄って会議があった。
大学では毎週事務の課長の会議があったので、毎週出したということだ。

就職や進路支援というのは、大学で言えば出口にあたる。
以前は就職課と言っていたものだ。
今は多くの大学でキャリアサポートというような名前で呼ばれている。
なんでキャリアサポートと呼ばれるようになったのかについては、別途書く。

つまり大学では、入試が入り口で、進路が出口、学生の生活支援と教育支援は中の仕事になる。
会社でいう、川上が入試、川中が学生課、教務課、川下が進路支援ということだ。
入試の結果は、毎回(推薦、AO、一般入試A,B,Cと例によって何回もある)学内に公表されるし、総括もされる。みんなの関心も高い。
なぜかというと、収入に直結するからだ。
でも、そういうふうにして入った学生が、どんなふうに出て行ったかを知ってもらわないといけない。
だから、入試と同じように進路の状況もみんなで共有し、毎週報告することにした、というのがあとづけの理由。
要は、自分のまとめのためにも、毎週の取り組みや内定率などを把握しておきたかったのだ。

ところで、大学というところはどうやっていろんな活動を教員組織に伝えていくのか。
ぼくは、こんなことをやっているのか、と呆れた。

全ての業務は委員会が主体になる。
就職なら、就職委員会だ。
その構成員は各学部から2名とか決まっている。
小学校の代表委員会を思い出した。
そういえば、中学も高校も生徒会があり、図書委員とか、風紀委員とかがいた。
毎月それらの委員会があって、それに委員は出席し、聞いてきたことを学級会で発表する。
それが、そのまま大学の教員組織でやっていることだ。
委員会で決まったことを、学科会で報告するのだ。
学校というのは、上は大学から、下は小学校まで、同じことをやっているのだ。
だから、ずっと学校にいる人は、それしかないと思っている。
これは結構新鮮な驚きだった。
別に小学校と大学が同じだからといってダメというわけではない。
でも、もうちょっと機動的なやり方を考えても良さそうなものだが、そうしたことが検討された形跡はない。
ずっと学校にいる人(教員や一部の事務の人など)はそういうやり方、ひいてはそういう組織しか眼中にないということだろう。
それは仕方がないことだ。
みんな平等なのだ。
余談になったが、こんなふうに平等意識は学校に根付いている。

どんな教員を就職委員に選出するかによって、その学部の就職に対するやる気がわかる。
とても熱心な先生もいれば、学生のことを諦めている先生、自分のゼミの学生だけに興味のある先生など、いろんな先生がいる。
おしなべて、就職は大事だという認識はある。
でも、自分たちが何をしたらいいか、わかっていない先生が多かった。

だから、進路就職のことは事務におまかせだった。
ぼくはそれでいいと思っている。
進路のことについてゼミなどで学生に進捗報告させたり、様子を聞くという役割はしてほしいが、具体的な就職先のことがわからないなら、事務部門に任せるべきだろうと思う。
もちろん、自分のコネがあって具体的な就職先を紹介できる先生はやってくれたらいい。
要は先生が自分の進路のことを気にしてくれている、ということが大事なのだと思う。
やはり、そういう先生のゼミは就職内定率が高めになる。

ゼミ訪問といって、キャリアサポートの事務員がゼミの教室に行って、説明をするということもやっていた。
もちろん、先生が要望を出せばやる、という話。あくまでも教育が優先だ。
要望が出る先生は年間5人くらい。
それが実情だった。実情を変えたいという気持ちもあった。
そんな状態で、7年間、ほぼ毎週進路就職のことを報告していたのだ。

最初は紙ベースで回覧し、最後の1年ほどはメールにした。
その7年間を通して、その週報の内容や書いてあることについて、誰かから問い合わせがあったという記憶がない。
細かい数字のことなどあったかもしれないが、内容については全くなかった。
他の部署が出していないのに、どうして出すのかとか、逆に他の部署はどうして出さないのかとか、事務からも教員組織からも一度も聞かなかった。

途中からは意地になって何も言わずに週報を出していた面はある。
それでも、ほんとに誰も何も言わないというのはどういうことなのだろう。
いいとか、わるいとか、何か言ってくれてもいいと思うのだが…。

週報はA4に収まる内容で出していたが、紙面があまった時には自分の考えを書いたりしていた。

例えば、2011年の5月にはこんな内容もあった。パソコンの資格講座のことだ。

「今年度前期のパソコン資格取得講座の受講者人数を業者にもらった。大学生が15名。内訳はワード8名、エクセル7名、P検3級0名、P検準2級0名という状況。資格があるからできるとは限らない、という入社試験もあるが、資格すらなければ全くできないという事を言っているようなもの。このパソコン資格を取得するということに関して、学部のリテラシー科目では誘導していただきたい。すでにインターネットの時代になっている。パソコンの操作リテラシーを上げていくことがエンプロイァビリティを上げることになるという状況であり、就職率を気にするなら、この数字を何とかしないといけない。」

こんな内容を見ても、どうして誰も何も言わないのか、不思議だったが、2年目くらいからは諦めていた。
それでも、共有することは大事だと思ったから、毎週発信していた。

元の会社なら、あり得ない出来事だが、大学というところは文化が違うのだと悟った。

ぼくのひとりよがりで、他のメンバーに迷惑をかけていたのかもしれない。

でも、キャリアサポートのメンバーは分かってくれていたんだと思う。

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