考えたこと2

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キャリアショック
キャリアショック 高橋俊介著 ソフトバンク文庫

ご注意:この記事、書いていたら引用が多くなり、長くなりました。

2000年に出された本。
この時に、「キャリアショック」の時代が、日本にも訪れようとしている、というのが著者の感覚。
はじめに、の部分に書いてある。

「キャリアショック」とは、自分が描いてきたキャリアの将来像が、予期しない環境変化や状況変化により、短期間のうちに崩壊してしまうことをいい、変化の激しい時代に生きるビジネスパーソンの誰もがそのリスクを負っている、きわめて今日的なキャリアの危機的状況をいう。まさに、キャリアのクライシスといってもいい。
私がここにキャリアショックというテーマを提起するのは、IT(情報技術)の世界におけるドッグイヤー(6,7年分の変化が一年が起きる)と同様な劇的な変化が、キャリアの世界においても起きつつあるからである。にもかかわらず、雇用やキャリアをめぐる論議は、これから述べるように、企業が雇用を守るのか守らないのかといった旧態依然とした議論に終始しており、それはあまりにも一面的なものの見方であるように、私には思えてならない。
(中略)
雇用の流動化とは、基本的に特定の企業との雇用が長期的に続いているかどうかという視点だ。しかし、たとえ、雇用が確保できたとしても、ある日突然、自分のキャリアが陳腐化し、自分のキャリアの将来像が、あっという間に崩壊してしまう。それがキャリアショックだ。そういう事態がこれからは、どんどん起きてくる。

そして、この本は日産自動車が突然外資系になったという事例を上げる。
まさに、その通りだっただろう。
また、アメリカのヒューレット・パッカード(HP)も大きく変わったという。HPはアメリカ企業では最も家族主義的な経営理念を持っていた会社らしい。終身雇用を一貫して続けてきた。
それが90年代の初頭に限界が来て、社員のキャリアショックが激しくなった。
それをアメリカらしく、全社員に正直にその事態を伝え、個人主導のキャリア自律を目指すキャリア・セルフ・リライアンスの概念を導入したとのこと。
そして、こうなった、と書く。

社内だけでは足りない人材は社外から採り、職種転換にどうしても適応できない人材は社外へ流動化させ、社外との出入りを含めた流動性を徹底的に推進する。「人材の入れ替えを行わなければ、この企業は生きていけない」とCEO自身が宣言し、年間退職率10%を目指す段階まで、HPは変革を遂げようとしている。

この本が出て14年経った。
日産やHPほどではないが、多くの仕事の形態が変わったと思う。
大企業においては、単に伝票を作るとか、計算をするだけとかいうためには人を雇わなくても済むようになった。
つまり、そろばんや電卓をひたすら操作し、正しく計算して表を作る、というような仕事はなくなり、経理の人は激減した。
これはITのおかげだ。

2014年の今は、すでに既存社員の第一陣キャリアショックは起こってしまったと思う。
ただ、この第一陣はまだ企業に余裕もあったし、終身雇用が生きていたし、転属先もあったのではないか。
今の時点で深刻なのは、キャリアショックではなくて、その影響でITによって単純作業がバイトや非正規社員になって、正社員の求人が減った、ということの方が大きいことだ。
つまり、正社員になろうとすると、単純作業のスキルを持っていてもダメで、人間関係をうまくやるとか、企画提案ができそうだとかいう複雑作業か、コンピューターのプログラムができるとか、戦略が立てられそうだとかいう専門的知識のどちらかが必要になる、ということだ。
これは大企業だけでなく、中小企業でも程度の差はあれ、同じことだと思う。

今は人手不足と言っているが、長い目で見れば労働に対する報酬も新興国との競争であり、平均値でいえばどんどん安くなる方向に行くと思う。
日本は今も経済大国であり、人件費は高いからだ。
新興国はその逆だ。どんどん人件費は上がっていく。
だから、昔は日本人一人の給料で20人雇えるとか言っていたが、この人数はどんどん減っている。
新興国は人件費が上がり、先進国は下がるのだろう。
それがどこかで一緒になる。
荒っぽい議論だが、グローバル化の行きつく果てはリクツではこうなると思う。

ともあれ、それらのキャリアショックを乗り切る知恵は大事だ。
そのテーマはいろいろ研究されていて、その一つが紹介されている。

先の見えない時代に、どのようにして自律的にキャリアを作っていけばいいのか。アメリカでも現在、とくに変化の激しいシリコンバレーを中心に、さまざまな研究が進められている。その中で、アメリカのカウンセリング学会誌等で発表された、プランド・ハップンスタンス・セオリー(Planned Happenstance Theory)の論文が注目を集めている。
プランド・ハップンスタンス・セオリーとは、直訳すれば、「計画された偶然理論」ということになるが、ひとことでいえば、変化の激しい時代には、キャリアは基本的に予期しない出来事によってその八割が形成されるとする理論だ。そのため、個人が自律的にキャリアを切り開いていこうと思ったら、偶然を必然化する、つまり、偶然の出来事を自ら仕掛けていくことが必要になっていくるというのだ。
そして、自分にとって好ましい形で偶然を必然化するには、特定の行動・思考パターンが必要であり、それは五つの特徴(注:別表あり ?好奇心、?こだわり、?柔軟性、?楽観性、?リスク)によって表されるとする。
好奇心が旺盛でありながら、同時に、自分の基本的な考えにはこだわりを持ち、柔軟かつ楽観的に物事をとらえ、進んでリスクを取っていく−あなたは、このうちいくつあてはまるだろうか。
(中略)
変化の時代には、個人が自分のキャリアの将来像を明確に描くことは不可能であり、しかも、キャリア構築は予定どおりにはいかない。であるならば、自分にとってより好ましい変化を仕掛け、キャリアショックに備える行動を取らなければならない。その能力を、「キャリアコンピタンシー」と呼ぶ。
社外で通用すると思われる目先のスキルや特定の資格を身につけたとしても、それがいつ陳腐化するかわからない。キャリアショックがいつ起きても不思議ではない状況の中で、柔軟に自分のキャリアを仕掛けていくような行動パターンや行動能力が、個人にとって最も重要になりつつあるのだ。

HPは、社内の全ての職務についてのコンピタンシーを定義し、制度を作ろうとしたらしいが、それは無理だった。その代わり、社内の人事に公募制を取り入れ、その募集要項をみれば何が必要とされているかわかるようにしたらしい。
それがアメリカで最も家族主義的な会社であった、HPの変化の方向である。
日本も遅ればせながら、そうなる可能性が大きいと思う。

今公務員が人気だというが、2040年には自治体の半分が存続不能という記事があった。
人口の少ない市町村は当然改革を強いられ、公務員数も削減されるだろう。
それを今の若い公務員志望者はわかっているのだろうか。
競争もなく、ノルマもなく、安定しているからという理由で公務員を目指す人は将来のキャリアショックに耐えられるはずがない。

そして、筆者は幸せのキャリアとはどういうものかを考える。

最近、「勝ち組」「負け組」という言葉が何かと流行っているが、人材マネジメントのコンサルティングに長くかかわってきた私が、つくづく感じるのは、キャリアの世界には、勝者も敗者もなく、あるのは「幸福のキャリア」と「不幸のキャリア」であるということだ。
幸福か不幸かの価値観は、社会がモノサシを与えてくれるものでもなければ、他人が値踏みするものでもない。それを、社会のモノサシに委ねてしまおうとすると、誰もが暗示にかかったように、給料の額がモノサシ化してしまう。そして、給料が数パーセント上がっただけでも、自分が幸せになったように錯覚してしまう。
もちろん、お金が社会的に重要な要素であることは、いうまでもない。しかし、これまで自分で築いてきたキャリアについて満足度の高い人たちにインタビューしてみると、給料の違いは二〜三割程度の増減まではたいした意味を持たないという。実際給料が二〜三割上がっても、生活のレベルにそんなに違いが出るわけでもない。
にもかかわらず、キャリアの成功の尺度として、”人の値段”を求めるということは、お金というモノサシに人間が振り回されている。それも、お金本来の使用価値よりも、お金というものを通じた社会的象徴価値に振り回されている。それは大企業の部長とお金という肩書きが過去に持っていた社会的象徴価値と同じだ。これが、幸福なキャリアといえるだろうか。大切なのは、自分で自分のキャリアを幸せに思えるかどうかではないだろうか。

筆者がインタビューしたという人たちは、世間で言う「いい会社」に勤める人が多かっただろうから、給料2,3割はそんなに大きな要因にならない、ということだ。
いやいや、それは大きい、という人たちもたくさんいる。

でも、言いたいのは「人はパンのみにて生くるにあらず」ということだろう。
ぼくは、この言葉を学生たちに見せて、意味を考えさせた。
そして、パンは大事だが、それは生活するためのものであり、「善く生きる」ためにはパンの一段上のものが大事ではないか、と問いかけた。
やっぱりお金の一つ上の次元のものが要るんだろう、ということになる。
それが幸せのキャリアになるんだろう。

それを実現するために、コンピタンシーという概念がある。
これは今の就職で大事だ、とされているものだ。引用すると、

コンピタンシーという概念は、最近、人事関係者の間では大流行しているが、もともとは行動心理学の世界から出てきたものだ。
ある職種において長期的かつ安定的に高い成果を出せる人と、あまり成果を出せない人、ないしは、たまに出せたとしても安定的には出せない人を比べ、その違いを行動心理学的に分析する。すると、成果の安定性と高い相関が見られるような特定の指向特性や行動特性が浮かび上がってくる。
たとえば、会議でどんどん積極的に発現する、顧客を訪問する際には必ず顧客の分析を行って対応の仕方を考える、仕事に制約条件があったら、それを一つ一つ排除していく…等々、このようなときには、このように考え、このような行動を取ることができるという、特徴的な違いが出てくる。それがその職種で安定的にハイパフォーマンスを上げるためのコンピタンシーということになる。たとえば、経営幹部に求められる要件としては、管理技術はスキルだが、リーダーシップはコンピタンシーということだ。
この考えを応用して、自律的キャリア構築の分野で同じような分析を行う。そうやって明らかになるものが、変化の激しい時代に、キャリアショックに対応しながら、幸福なキャリアをつくっていく思考特性や行動能力、すなわち、キャリアコンピタンシーにほかならない。

そして、コンピタンシーと並んでカギを握っているのがパーソナリティーというもの。
これはその人がどんなことにモチベーション(動機、やる気)を感じるのか、という部分である。
パーソナリティーはなかなか変えることができないから、難しい部分になる。引用すると、

パーソナリティーとは、いわゆる個性や性格のことだが、その中でもキャリア形成において最も重要になるのが、その人がどのようなことにモチベーションを感じるのかという動機の部分だ。
動機にもさまざまな種類があり、それを探るアセスメントツールも各種つくられている。アメリカに本社を置く人材評価コンサルティング会社キャリパー社では、心理学を応用した四〇以上の指標を使ってパーソナリティーを評価する。

ここで、キャリパー社の表が示されるのだが、用語の例として以下のようなものが挙げられる。
影響欲、復元力、社交性、好印象欲、感謝欲、徹底性、自己管理、外的管理、切迫性。
元が英語なので、わかりにくくなっていると思うが、各々の説明を読むとまあわかる。
西洋人は分析好きであり、世の中のものは全て分類できると思っているし、そうでなければならない、と思っている。
ここが東洋人と違うところだが、確かに分析すれば類型化できるし、よくわかるのも事実。続けて引用すると、

その指標をいくつか見てみると、たとえば「好印象欲」(Gregariousness)という動機。初対面の人にも自分がいい人だと思われたいという欲求だ。好印象欲の強い人は、パーティーなどでも、初対面の人と如才なく会話しながら、すぐ親しくなれるようなコンピタンシーを持つようになる。もともと動機があるため、場が与えられれば、そのような行動をしてしまうのだ。
逆に好印象欲が低い人は、パーティーに行くと壁にくっついたまま動かない。そして、「初めての人といきなりビジネスの核心に触れる話はできないし、かといって、たわいのない表面的な話をしても無駄だ」などと、自分で理屈づけて動かない。初対面の人と話すこと事態、おっくうな人もいる。
しかし、営業職に代表されるように、外とのネットワークを広げていかなければならない仕事についている人は、動機として好印象欲が低くても、壁にひっついてばかりはいられない。パーティ会話集の類のノウハウ本を一生懸命読んだりして、自分で勉強し、それを実行しながら少しずつ社交的に振る舞うコンピタンシーをつけていくことになる。
つまり、同じような状況を与えられても、もともと動機のある人は努力しなくてもコンピタンシーが強くなっていくが、動機が乏しい人はかなりの努力をしないとコンピタンシーがついていかない。ここに、動機とコンピタンシーの重要な関係が浮かび上がってくる。
(中略)
このように、動機とコンピタンシーは密接な関係にあるが、問題は、努力によってどこまでコンピタンシーをつけていくことができるのかという点にある。
スキルについては、個人差があるが、何歳になってもつけることができる。むしろ、変化の激しい時代には、次々と新しいスキルをつけていかなければならない。スキルは、蓄積するというより、生涯学習により、更新し続けるものだ。
では、コンピタンシーはどうかといえば、実はそう簡単には身につかない。
(中略)
そのため、年を取るほど、新しいコンピタンシーをつけたり、ましてや、従来の自分とまったく逆のコンピタンシーをつけていくことなどは、どんどん困難になってくる。それは容易に想像がつく。入社以来、二〇年間、いわれたとおり、正確に仕事をすることだけを続けてきた人が、ある日突然、役割が変わったので自分の仕事を自分でつくりなさいといわれたらどうするか。前向きな発想を二〇年間、封印してきた人が、まったく正反対のコンピタンシーを短期間につけるのは、至難のわざといってもいい。
さらに、パーソナリティーや動機そのものを変えることはできるのか。動機をアセスメントするツールには、キャリパー社のほかにも、有名なものではマイヤーズ・ブリック・タイプ・インジケーター(MBTI)、エニアグラムなどさまざまなものが開発されており、それぞれ、特定の調査対象者について、二〇歳前後から一定年次ごとに追跡調査を行っているが、どの調査でも、動機に大きな変化はほとんど見られなかったという分析結果が出ている。
動機を変えることはまったく不可能であると証明されているわけではないが、現実問題、十七、八歳以降、遅くとも二〇歳を過ぎた人間の動機のプロファイルが根本的に変わっていくことは、ほとんど考えにくいといっていいだろう。

引用が長くなったが、ここに大学でのキャリアサポートの限界がある。
最後に書いてある、「遅くとも二〇歳を過ぎた人間の動機のプロファイルが根本的に変わっていくことは、ほとんど考えにくいといっていい」というところに突き当たるのだ。
今の時代は、変化が大きな時代だと言っていい。
だからこそ、キャリアショックという本が書かれている。
しかし、カウンターに来て「とにかく安定した仕事、だから公務員」という学生にどう言うべきか。
そういう学生は「公務員」という仕事があると思っている。
「公務員」という仕事はなく、行政職や福祉職などがあって、いったいなにがしたいのか?というところから話を始めないといけない。
そもそも、安定志向の学生には、一生のスパンで見た時に、紹介するところがないのだ。
もはや公務員ですら、先がわからない時代に来ている。

幸福なキャリアを作るためには、動機とコンピタンシーがマッチングすることだ、と著者は言う。
それでも、アメリカの営業職の調査・分析によると、自分の動機と今の仕事がマッチングしている人は20%しかいないらしい。逆にマッチングしない人が55%もいる。
やっぱりキャリアの自律は難しいのだろう。

その他のアセスメントツールとして「エニアグラム」というものがある。
これには9つのタイプがあり、タイプ1〜9で分類されている。
このタイプ別にリストラを宣告された時の反応が書かれているが、これは面白いので、抜粋すると、

タイプ1:正義感が強く、何ごとも平等公正であろうとする。ものごとを正しいか正しくないか、善いか悪いかの基準で判断し、常に正しくありたいと望む。リストラを宣告されると、自分の感情を押し殺しながら義憤を感じるようなタイプ。

タイプ2:人に愛情を注ぎ、自分も注がれたいと望む愛情欲の強い人。自己犠牲的で奉仕精神を持っている。一緒にリストラに遭った人たちのことを心配し、互いにかばい合うような行動を取る。

タイプ3:上昇志向が強く、人から評価を得るために常に最高の自分を発揮しようとする現実的な野心家タイプで、上級管理職さらには経営者を目指してステップを上がろうとする。リストラを宣告されると、もっといい会社に行って見返してやろうとする。

タイプ4:自己の内面的な世界を自分なりに表現したいという欲求を持ち、美意識が発達している。ナイーブな感性を持ち、傷つきやすい。リストラの対象になった自分について、人格を否定されたように受けとめ、自分の中に引きこもっていく。

タイプ5:ロジカルな思考を持ち、ものごとについて知識や情報を集めて客観的にとらえようとする。なぜ自分がリストラされなければならないのか論理的な説明を求め、それが客観的に間違っていなければ、納得する。

タイプ6:世の中はリスクに満ち満ちているので、なによりも安全を第一に考え、何ごとにも慎重に対処しようとする。組織に忠実で、誠実一筋に働く。リストラに遭おうものなら、人生最悪の事態ととらえ、住宅ローンや家族のことが次々と頭に浮かび、パニック状態に陥ってしまう。

タイプ7:好奇心が強くて、常に新しいことに変化を求め、何ごとにもポジティブにとらえる。誰とでもこだわりなくつきあい、場の雰囲気を明るくする。リストラになっても、まさか自分が!と驚くものの、「まあ、いいか」とすぐに次の可能性、興味があることに目を振り向けて行く。

タイプ8:相手を自分の思うように服従させたいという欲求が強い人で、自己を主張し、リーダーシップを発揮しようとするので、政治家やオーナー経営者に多くみられる。スジが通らないリストラだと、怒りの感情を露わに徹底抗戦するタイプ。

タイプ9:平和を好み、回りを気にせず、のんびりマイペースに生きるタイプ。動き出すまでに時間がかかるが、ただ、いったん動くと簡単にはあきらめない。リストラ宣告されると、その場では、「ああそうですか」と受け答えするが、翌朝、「どうもあれは変だ」と考える。

自分がどのタイプか、考えると面白い。
絶対違うのは、1,2,3,4,6,8。
ぼくは5,7,9のどれかだろうと思う。
一度テストを受けてみたい。

パーソナリティー、モチベーション、コンピタンシー、スキルというカタカナ言葉はキャリア(これもカタカナだが)を考える上では大事なものだ。
いや、人生そのものを考える上でも大事なものだろう。
それは、そう簡単には変えられないのだが…。
著者は不幸なキャリアについて、こう書く。

自分の動機に合わないコンピタンシーやスキルばかりを使うことは、どこかで自分に無理を強いるため、当然、ストレスがたまってしまう。動機なき努力中心の仕事があまりにも長く続くと、過剰なストレスと疲労感が心身をむしばみ、ある日突然、燃え尽きてしまう。ハイパフォーマンスを上げてはいても、不幸なキャリアの典型だ。

そういう見方をすると、学校の先生にバーンアウトが多い、というのはなぜなんだろうと思う。
ぼくは、今の教員養成の課程に問題があると思う。
社会に出るときに、免許に守られた職業に就きたい、と思う人や、少なくとも学校は知っているから安心だ、と思う人などが先生になっているのではないか。
安定志向であったり、未知のものに対する恐怖心みたいなものが動機になっている人が多いと思う。
そういう人はきっと、今の教育には向かないのだろう。

以上が第1章、「成功のキャリアか失敗のキャリアか」の内容の抜粋。
第2章は「キャリアを切り開く人の行動パターン」、第3章は「キャリアを切り開く人の発想パターン」、第4章「人生支配の代償だった雇用保障」、第5章「知的資本経営のできない会社は生き残れない」、第6章「明日から取るべき6つのアクション」と続く。
2,3章は筆者が属する慶応義塾大学キャリア・リソース・ラボラトリーで調査した結果が示される。
どちらかというと、高いレベルの人の話。
4章は主に年功序列、終身雇用の話になる。
筆者は言う。

つまり、年功序列のどこに問題があったのかといえば、アメリカとの比較からもわかるように、年功の部分よりも、むしろ、序列によって社員のキャリア構築を徹底的に管理した点にあった。社員の方も、ピラミッド組織の中で、自らのキャリア構築についてリスク管理まで含め、会社にすべて任せてしまってきたわけだ。
会社にだまされてはいけない。雇用は保障すると言っている経営者ほど信用できないものはない。タイタニック号の船上で救命ボートの数の少なさを心配する乗客に、船長が「大丈夫です。この船は絶対沈みませんから」と言っているのと同じだ。こうした”タイタニックの船長”的な経営者が、あなたの会社にもいないだろうか。だれでも船はできるだけ沈まないように設計する。それは当たり前だ。だからといって、救命ボートの数が十分でなくてよいという話にはならない。
難しい状況がわかっていても、誰もそれを言い出せない。そんな雰囲気があなたの会社にもないだろうか。経営者の決意表明として雇用を守るというのは結構だが、社員はそれを信じて自律的キャリア形成能力を怠っていはいけない。経営者は勇気を持って、個人と企業の関係を本質から変える取り組みをいますぐ始めるべきだろう。

この本が書かれたのが今から14年前。
残念ながら状況はあまり変わっていない。
リストラをして、派遣やバイトという非正規社員を使って、日本の企業は生き延びてきた。
しかし、もはや非正規社員が4割を超える。
5割を超えたら、もう限界だろう。
今は人手不足ということになっているが、それで非正規から正規社員になれる人などあまりいないと思う。
また、そういう働き方が嫌だ、という人もいるだろう。

また、大学生は一部を除いて大手志向である。
それしか知らない、という面もあるが、親も含めて、寄らば大樹の影と思っているのだろう。
周りの影響で、だいぶ中小にも目がいくようになったが、ソニーやシャープがコケる時代、あまり会社の大きさに囚われてはいけない。
自分のパーソナリティーを理解し、自らのスキルを上げていくことを考えないと、10年、20年先は本当にしんどくなるだろう。
要は、みんなが非正規というアメリカ型の社会が到来するのだ、と思っておいたほうがいいと思う。
日本型経営の良さは残してほしいが、最悪の事態を考えておくことも必要だ。

大学というところは、18歳人口が減り続けるのに新設を繰り返し、進学率が上がり、下位校は学生の質が昔の大学ではなくなっているのに、旧態依然としたシステムで対応している。
しかし、教育はなくならない。だから、大学は生き延びると思っている。
ぼちぼち淘汰が始まるのに、手を打てない。打つ気がないのだ。
下位校は、そんなところが多いと思う。

第6章はアクションプランである。
個人が取るべきアクションとはどういうものか。
項目だけ引用しておく。

アクション1:「自分の値段」ではなく「自分の動機」を知る
アクション2:動向を読み、賭けるべき流れを選ぶ
アクション3:自分のビジョンとバリューを掲げる
アクション4:価値あるWHATを構築するコンピタンシーの強化
アクション5:キャリアリスクを減らしキャリア機会を広げる

著者は世界的に有名なマッキンゼーにも籍を置いたことがあるコンサルタント。
少しばかりハイレベルな人たちが対象になっているが、そこから得られるものは多い。
14年経って、ようやくこの本に時代が追いついてきたという感じだ。

これもアマゾンで中古で買った。




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