考えたこと2

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研究計画
研究計画のことを書く。

大学教員たるもの、研究をしないといけない、というのが現状の文科省の考え。
ちょっと教育も頑張れ、というように軸足の位置が変わってきているが、まだまだ研究業績を重視する考えは変わらない。
ぼくもそれは正しいと思う。
よい研究者は、よい教育者だろう。
この逆は必ずしも真ではないと思う。

講師から准教授とか、准教授から教授などの昇任の場合も、所属年数と過去5年程度の査読付きの論文数で評価される。
甚だいい加減な学校もあるが、それはまた別途。

大学教員の研究計画は、企業の研究計画と本質的に同じものだと思う。
かたや組織で行い、かたや個人で行う(理系の場合は共同で行う場合もあるだろうが)という違いはあるが、同じ「研究」であるから、基本的には同じだろう。

したがって、大前提は、研究には計画がある、ということだ。
今までの先行事例はこうなっている、という文献調査や、取材、討議、学会出席、現地に行くなどの出張調査、そして、それらの結果を突き合わせての執筆、というような段階を踏むのだろう。
したがって、研究費は出張旅費か文献や本などの書籍費、学会費が主たるものになる。
余程のことがないと、それ以外は認めないところが多いと思う。
その研究費は毎年数十万円というような額になる。
要は定額で研究費を支給しているということだ。

当時ぼくのいた大学は、年間50万円だった。
これをもっと機動的に使いたい、というのがぼくの意図だ。
学長を含む首脳陣のミーティングで提案した。

研究計画を3年程度のスパンで毎年出してもらう。
そして、その計画にしたがって、予算にメリハリをつける。
それだけのことだ。

精力的に動く時期には海外出張もあるだろうし、国内出張もある。
研究者同士のミーティング等もあるだろう。
そして、現地取材等もあるだろう。
このへんはどの分野の学問かによって、違ってくる。

それと併行して、調査のための文献入手や、書籍の手配もある。
経常的に使われる、学会費もある。
先生たちはそれぞれ学会に所属しており、学会費を毎年公費で払っている。

そして執筆の段階になると、あまりお金は使わない。

複数の研究テーマがある人は、その各々について、計画を書いてもらう。
それによって、単に書いているだけ、というテーマはなくすことができる。

こういう推定に基いて、予算管理をしたい、という計画だった。

しごく普通のやり方だと思う。
そのフォーマットも作って、提示した。
これによって、50万以上もらえる年も出てくるし、30万程度でいい、ということもあり得るでしょう、ということを言った。

大学関係者なら、わかると思うが、この提案は却下された。
その理由はある教授が言った、「面倒くさい」というものだった。
列席者から、だれも積極的に「いや、こういうことは必要だ」という意見もなかったので、こういう真っ当な意見は大学では通らないのだ、と諦めた。

事前に話をした先生は、「これはいい考えだと思う。自分は50万円もらっても使えない年もあるし、もっとほしい年もあるから、計画的に申請できるのはうれしい」と言っていた。
もちろん、この先生はまともに研究をしている先生だ。

提案した時に、通る確率はまあ半々かな、と思っていた。
もちろん、面倒くさいという意見はあるだろう。
今まで何もせずに50万円もらっていたのだから、当然だ。
しかし、まさかみんな無計画に研究しているわけではないだろうと思っていた。
たとえ、予算と結び付けなくてもいいのだ。
「研究している」と言っているだけの状態を何とかしたいと思ったのが、きっかけだ。

しかし、教授会まで行く前に蹴られるとは思わなかった。
まあ、何となく予感はあったのだが…。
みんな無計画だったんだろう。

当時、このミーティングで出たものを、会議体で討議し、それから教授会で認めるという仕組みだったと思う。

研究が大事、という大学の先生の本質に触れるところが敗因だった。
ろくに論文も書かず、それでいて規程の年数在籍したら昇任申請したりする大学の先生たち。
もうちょっと何とかならないのか、と思ったが、無理だった。

大学の教員を変えられるのは、大学の教員でなければ無理だ。
大学というところでは、教授が一番エライ、ということになっている以上、どうしようもない。
文科省がなんと言おうと、この構造を変えないと、下位の大学はよくならないと思う。

そんなワケでぼくのささやかな抵抗は終わった。


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