考えたこと2

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21世紀の価値観
コンピューターの中を整理していると、1996.7.6のメモが出てきた。
18年前だから、39歳。
今と考えていることはあまり変わらない。
自分では若いころとは違うと思っていたが、これを見るとあまりの変化のなさに驚く。
年をとったのは身体だけかもしれない。

21世紀が来る5年前だ。
渥美清が亡くなった。
オリックスが巨人を4勝1敗で破った。
就職17年目の年。

ほとんど受け売りだ。
それも今と変わらない。

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21世紀の価値観はどうなるのか、それはよくわからない。

希望的観測で言えば、日本人もアホではないので、何らかの意味のある価値を持った、価値観(金をもうけて楽な暮らしをするというだけでは無い物)を見つけていくかもしれない。

でも、今の状況を見ていると、どんどん既成の価値観は古い物として、捨てられていっていると思う。
例えば、自分を犠牲にして、友達のために尽くすとか、みんなの幸せのために政治家になろうとするとか。
そこには、新しい物はいい物で、古い物は良くない物だという無意識の先入観があるような気がする。
誰かがそれは進化論の悪影響だ、と言っていた。

エントロピーは増大する、という法則があって、結局価値観も同じようにどんどん無秩序の状態に向かっているのかもしれない。
やっぱり、何かまたは誰かのために、頑張る者をバカにしないで尊敬する、という今では古風な考えが復活しなければ、21世紀に向かって結局今の風潮が続いていくのではないだろうか。

みんなの価値観がばらけていってしまったので、常識という言葉が人それぞれに違ってきているのだと思う。
常識というのは、その社会でみんなが当たり前だと思う、共同の幻想。
共通の価値観がなくなっていくと、共同幻想ももてなくなってしまうのだろう。
これが無くなっていくということは、社会が不安定になっていくということであり、自分の常識が通じないという状況は、嘆かわしいことだ。(自分のエゴかもしれないが。)

でも、自分の常識を信じて、通じないときは、議論すべきだと思う。

そうすることによって、一つの新しい共同幻想が生まれ、社会が安定してゆくのだと思う。

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