考えたこと2

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In Japanではねぇ
グローバル化が進み、世界で勝負しないと会社が存続しないという時代を迎えた。

楽天の英語公用化が大きく取り扱われ、入社の条件をTOEIC何点以上にする、という企業も増えてきた。
要は英語でコミュニケーションできることが大事、ということだ。
アジアでも、欧州でも、ビジネスは英語だ。

文部科学省は小学校から英語をやろうとしている。
小学校教員は英語を教えるのが苦手なので、専門の外国人を入れたりしている。
小学校から、正しい発音を教え、流暢な英語を話せないといけない、と思っているようだ。
文部科学省の役人たちは、よほど英語コンプレックスを持っているのだろう。

ぼくが入った会社は、元は英国の会社だった。
英国本社の極東工場だったのだ。
それを日本の会社が買い取り、それで日本企業になったという沿革。
だから、ぼくが入った時の上司は、英語が話せる。
エライ人が英国人だったからだ。
聞くと、当時は出張の前受のことをアドバンスと言っていたらしい。

ぼくが入った当時のD課長はそういう上司だった。
まだ海外に行くのが珍しい頃、何度か欧州各国に行って、クルマで走り回ったりしたらしい。
外国人の知り合いも多かった。

ぼくは20代の前半、生まれて初めての海外出張をD課長と一緒に行った。
カバン持ちだった。
ベルギー、ドイツがメインだったが、現地の人たちと話をした。
得意先の現地法人の人たちとテストをして、打ち合わせもした。
ぼくは何を言っているのか聞き取れず、聞けなければ話せない、ということを思い知った。

その時のD課長の英語が印象に残った。
D課長は、無理に流暢に話そうとしない。
場合によっては日本語もチャンポンで話す。
「日本では」という時には「In Japanではねぇ」という。
全部が全部そんな調子ではなかったが、随所に日本語が入る。
発音もそんなに本格的ではなかった。
でも、その時に思った。
言葉は通じればいいのだ。
向こうが聞きたいと思えることを話していれば、少々ブロークンであっても聞こうとしてくれる。

ぼくらは、所詮英語ネイティブにはなれない。
英語を話すことに一生懸命になるより、話す内容を持つことに一生懸命になる方がいい。
世界には英語を流暢に話せない人がたくさんいる。
最低限、通じればいいのだ。
相手が聞きたい、と思う話ができる方が大事だ。

そんなふうに文科省も考えられないのだろうか。
外国語を話すことは手段であって、目的ではない。
少々ブロークンでもいいから、通じればいいのだと思う。
それよりも、人と人との信頼関係を築けるような自身のコンテンツを持つことだ。
そうではないか。

In Japanではねぇ、it’s OKや。


| | 英語 | 20:56 | comments(0) | trackbacks(0) |

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