考えたこと2

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商社とメーカー
亡くなった親父は繊維商社に勤めていた。
日本の商社は外務省よりも情報が速い、ということを自慢していた。
父はずっと経理だったので、海外にはあまり行ったことがなかったが、パキスタン(現バングラディシュ)に1年ほど行ったのが商社員らしい出張だった。
そんな会社に60歳までいて、定年した。
定年後は繊維メーカーに週3日ほど行っていた。

ぼくが今日10年前に辞めた会社の人と飲みに行くと行ったら、実家の母が「へー、10年経ってもそういう付き合いがあるんや」と驚いた。

10年経っても、宴会に呼ばれるとは商社では考えられないと母は言う。
父はそういう経験はなかったのか。

商社とメーカーの違いではないか、と母は言う。

ぼくは小さい頃から商社は素晴らしいと聞かされて育ったから、商社に対するあこがれはあった。
同級生の1人は理系だったが、自ら商社を志望して行った。
ぼくはそんな大胆なことはできず、メーカーに就職した。

一度商社の人にアテンドしてもらって海外出張に行ったことがあったが、やっぱり商社の人はすごいなあと思った。
常に商売のタネを探している、という姿勢がそう思わせたと思う。

ぼくはメーカーでよかった。
ぼくのいた技術部はいい人が多かったし、上司にも恵まれたと思う。
「仕事は楽しくやらないかん」と言ったのが最初の課長。

結局は運なのだと思う。
その時、何かの縁があって勤める。
勤めた先で出会う人達がどんな人か、どんな部署に配属されるのか、どれくらい忙しいか、景気の状況はどうか、その業界は上り坂か下り坂か…、そんなことは運だ。
もちろん、自分の努力でどうにかなる部分もあるが、ほとんどが運だと思う。

ぼくは結果的に恵まれた時代を過ごした。
今振り返ってそう思えるのは、幸せなことだと思う。

辞めて10年経っても、宴会に呼ばれ、飲みに行く。

そんな会社に勤められたことは、ラッキーだった。

本当にそう思う。

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